旅 考

 現代人は昨今誰でも簡単に海外旅行を楽しむ事ができる時代になった。平和というものは本当に有り難いものである(一部の地区では必ずしも平和とは限らないが…)。
 海外旅行と言えば旅行代理店のツアー旅行が主流である。しかし、これにも一長一短があり、必ずしも完璧というものではない。
 パックツアーの始まりは西洋ではメッカへの巡礼であり、日本ではお伊勢参りであったらしい。
 私ども日本人の「旅文化」は、一代二代のことではない。そのルーツは、「江戸の旅」にたどれそうなのである。
 江戸時代の日本は、世界に冠たる「旅行大国」であった。そのことは、種々の紀行文からも明らかである。
 「この国の街道には毎日信じられないほどの人間がおり、(中略)ほかの諸国民と違って、彼らが非常によく旅行することが原因である」(E・ケンペル「江戸参府旅行日記」)。
 「おそらくアジアのどんな国においても、旅行ということが、日本におけるほどこんなに一般化している国はない」(P・シーボルト「江戸参府紀行」)。
 このにぎわいは、東海道の庶民のようすをいったもの。その通行数は、江戸の中・後期を通じて伊勢参宮が年間数十万人から百万人を数えていたことからして、おそらくその三、四倍はあったらしい。均(なら)して毎日一万人前後の往来となれば、たいへんなにぎわいである。

   川柳 信心というは遊山の片身ごろ
        伊勢参り大神宮へもちょっと寄り

 道中の手配から参拝の案内、飲食や遊興の周旋まで行なう旅行業者も発達した。御師とか先達と呼ばれる人たちである。とくに伊勢の御師の商業活動はめざましく、江戸中期には六百株以上を数え、ほぼ全国的に縄張りを広げた。世界の旅行業の創始者といわれる十九世紀のトーマス・クックより百年も百五十年も前から、日本では伊勢の御師の専業化が成っていた。

 「旅とは、知らない国への期待とその可能性に対して挑戦する行為の中にこそある。現在の旅行者はどうであろうか。未知への旅はありえない。あるのは確認という行為だけである。」シュテフアン・ツヴィクラー

 海外旅行というと、多くの場合、旅行社が最大公約数の希望を盛り込んで計画した、主要都市巡りを中心にしたツアーに参加して、引率されるままになんとなく行って帰ってくる旅が多い。つまり個性もなく、目的意識もなく、只、単になんとなく案内されるままに異国を通り過ぎ、お土産を買って帰ってくる。高い旅費を払ってこれだけではあまりにももったいない話である。どうせ行くからには、自分の好みとか希望を生かした目的を持った旅をしたほうがより有意義ではないだろうか。
 私の場合は、ヨーロッパの中世の古城を見てその時代に生きた人々の生きざまなどに想いを巡らす旅であったが、その他に、例えば、西洋の美術、芸術を訪ねる旅とか、本場の音楽を聞く旅とか、歴史の舞台を訪ねる旅、小説の舞台や、映画のロケ地を実際に自分の目で見てくる旅とか、その人の好みによっていろいろある。
 グルメの旅でも良いし、本場のワインを生産地に訪ねる旅というのも面白いと思う。小説や映画、歴史などの舞台を訪ねる場合は、当然の事ながら、事前に調べて予備知識を持っておくと現地に行ってから興味が倍加する。又、帰って来てから改めてその物語を読み直すなどのアフタケアをする事も大切な事と思う。そうする事によって、見て来たものがより一層興味深く身に付く事になるのである。
 という訳で、漫然と旅に行くことも又必要な場合もあるが、出来ればなるべく目的を持った旅をお奨めしたい。

 《楽しきかなひとり旅》
 まだ一度も海外旅行をした事のない人は、大抵、いきなりひとり旅などは不安がって、なかなかやろうとしない。その原因の第一は言葉の壁であり、第二に資金、第三に地理不案内、第四はヒマがないという事であろう。これを全部まとめて、私は行く気がないと言う事にしている。
 南極やヒマラヤ、それに月世界にさえ人類が行っている時代に、文明人の住んでいる平和な国へ行けないなんて考えてみただけでもおかしな話ではないだろうか。目の見えない人でも努力して白い杖を頼りに、誰にも迷惑を掛けないで街を歩いているではないか。人間、誰でも努力すれば出来るのである。“旅で使うのはお金ではなく、知恵と行動力”である。
 その為には、第一には健康でなければならない。足腰を鍛えて体力を付けよう。私は毎朝六時に起き、ジョギングをしている。
 機転を利かせれば少し程語学カがなくても楽しいひとり旅が出来る筈である。“パック旅行などクソクラエ”。勇気を持って、さあ!旅に出よう。リックを背に男の夢とロマンを求めて!そこには素晴らしい出会いが待っている。世界の友との出会いと触れ合いの中から、新たな友情が生まれるであろう。私も、思わぬ出会いと男のロマンと何かを求めて、又、旅に出たい。今度はどんな出会いが待っているのだろうか。楽しみである。

 旅行代理店が主催するパックツアーは最大公約数でまとめられている。枠の中に納められ、行きたい所にもゆけず、行きたくない所やお土産屋などに時間を費やされる事が多い。自分の思うように行動する事は出来ず、どうも自由が利かない。
 それからみると個人旅行は好き勝手に動く事が出来る。風の吹くまま気の向くまま…。寅さんの気分で…。その代わり、荷物は自分で持ち運ばなければならないし、交通機関や宿泊も自分で探さなければならないと言う労力や多少の不安、不便は致し方ない。と、いうよりはかえってその方が後から楽しかった良い想い出となり、その旅の価値が倍増すると言うものである。“旅の楽しみ”というのはそのようなところにあると思っている。何から何までお膳立ての整った旅は思い出には残らない。何から何までお誂えのツアーでは旅の印象も薄れるというものだ。

 小説家林芙美子は昭和六年から七年にかけて下駄履きで巴里を闊歩した。
「巴里へ来て二週間は、私はめっちゃくちゃに街を歩きました。(中略)買物に行くのに、塗下駄でポクポク歩きますので、皆もう私を知っていてくれます。(中略)もうメトロも自動車にも乗らないで、やけに歩く事。歩いている事が、今の私に一番幸福らしい。」 立松和平編「林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里」(岩波文庫)より。

 イギリス人の女性旅行家イサベラ・バードは当時まだ未開の地であった蝦夷地へ一人旅をした。
 明治11年8月12日。彼女は70屯あるかないかの小さな汽船で、暴風雨の中もみくちゃになりながら津軽海峡をわたって函館港に上陸した。
 23歳の時に北米へ初旅行したのをきっかけに、彼女は世界中に足をのばした。100年余り前の英国の独身女性にとって、これは大変な冒険行であったに違いない。
 明治11年といえば、今からおよそ100年余り前。日本国内はまだ政情不安定な時代である。そんな日本へイサベラは一人でやってきた。47歳であった。
 最終目的地は平取であった。いまに続くアイヌの人々の村である。獲物を追う狩人たちの通る細い道を、イサベラほ馬で進む。「途中の沼地で(馬の)頸根のところまで沈んでしまって、馬の自力では抜け出せず、私は仕方がないので馬の頸によじのぼって、耳越しに固い地面まで飛びました」というありさまであった。
 暗い静寂が支配し、野獣が横行する原始林を、それでも彼女は勇敢につき進み、ついに山と森にはさまれた美しい平取に到着する。
 イサベラは、アイヌの人々から手厚く扱われた。イサベラは、この平取アイヌの酋長宅で幾日かを過ごし、滅びゆくアイヌ人たちの生活、風習、言語、宗教などを、短期間ではあるが、調査し観察した。

 評論家の森本哲郎さんは平成14年9月5〜6日放送NHKラジオ第一放送「ラジオ深夜便」の中で 「“文明の旅”への旅」と題して次のように語っている。

      《旅というのは》
 多くの旅をした挙句に感じ取るのは最悪の旅と最良の旅である。私は快適な旅は一つも覚えていない。苦難を乗り越えた旅は忘れがたい。ひとり旅はすべてを自分で決めて自分でしなければならないが、その半面自由で面白い。
   旅とはいったいなんだろう。
 ひとり旅は辛いけど、収穫がある。ひとり旅は対象を見ることに専念できるが、仲間が居ると話に夢中になってつい、周りを見落とす。つい、仲間内で日本に居るのと同じ気持ちになって時間が過ぎてしまう。ひとり旅は否応無しに外ばかり見て歩くことになる。つまり、自分自身で会話をしてゆくことになる。辛いけれど、一人旅は収穫がある。
 外国語は出来ないほうが外国が良く分かる。人間同志は意志を通じ合おうとしたら、必死に身振り手振りでコミニュケーションを取る。それによって人間としての心情が分かる。なまじっかな外国語を使うときわめて表面的なコミニュケーションになる。上辺だけの伝達になる。
 現代は、映像だけを見て「行ったような気がする。見たような気がする」時代であるが、それよりも、実際の体験が大切である。自分の五感で、肌で感じ、苦しみもがきながら意思を通じさせたり,途方にくれたり、そのような生身の体の実際の体験こそがいいのだ。
 旅とは苦しいものだ。辛いことが多い。楽しいことだけでは旅の意味がない。芭蕉の「奥の細道」は、芭蕉が楽々と辿って行ったならばあの作品は生まれなかっただろう。快適さは、旅の敵でないかなと思う。
 旅の原点は、物を運ぶ旅(シルクロードの旅)、宗教の旅(スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の旅、メッカへの巡礼、四国巡礼の旅)でも分かるように、日常生活から抜け出して、旅先で自分を見つめるということが旅の大きな目的であり、収穫である。団体旅行はそれを実現させてくれない嫌いがある。そのために、最後は確認に過ぎないだけに終わってしまう。確認をするだけなら案内書だけを見ていれば済むことでわざわざ行くことはないのではないか。
 旅とは「発見」だと思う。本当の旅とは、「自分との違いを発見すること」が一番大きい。
 外国ではカルチャーショックを受けることに意義がある。インドに来て冷房車に乗せられたら怒るべきで、冷房車に乗りたかったら、日本で新幹線に乗ったらよい。インドに来て冷房付の列車に乗ったら、インドに来て旅をしているという感じが全くないであろう。そんなことなら、わざわざインドに来る必要がないだろう。暑い中、苦しみながら窓の外を見ながらインドという風土を肌で感じることこそ本当のインド旅行ではないのか。旅行とはそういうものだと思う。
 現代のサイバーの旅ではなく、自分の足で見てきた体験した旅をしてもらいたい。

 と語っていた。

 又、「文明の旅」−歴史の光と影−森本哲郎著 新潮選書(昭和42年発行)には
            《旅というものは》
 自分たちの生活だけが生活ではない。世界にはさまざまな人間が、それぞれの国で、いろいろな生活をしているのだという発見。「ほかの人たちと自分たちとの間に存在する心理的な距離」の実感。これこそが歴史への第一歩なのだ。この事情はヘロドトスの昔も、ジェット機が飛び交う今日も、あまり変わっていないように思われる。
 旅というものは、そのような自己中心的な世界像を修正する。世界を旅して今さらのように思い知らされるのは、こんなにもたくさんの国々で、人びとが、こんなにも違った生活をしている、という当惑である。そして、この当惑こそ、実は私達の世界像が、いかに実際の世界から距っているかの証拠なのだ。
 当惑はやがて人間の生活様式、思考方法、それらをひっくるめて「文明」への省察へと導く。海外旅行は、いやでも「文明の旅」ならざるを得ないのである。
 こうした当惑は、島国に住む日本人の場合、とくにひどいように思われる。

 と記されていた。
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 「旅」、それは歩くこと、飲むこと、踊ること、そして出会うこと。
 「旅」、それは酒、女、夢。
 ルタ一曰く「洒も女も歌も好かぬような者は一生を愚かに過す」
 「出会い」と「別れ」。旅の型は人それぞれ様々だが、旅には何かがある。旅は出会いと別れのドラマである。

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 「お金さえあれば何でも出来る時代だ」と言う人もいる。事実、お金さえ払えば南極へも行けるツアーもある。少し離れた所へ行くのにもタクシーを使えば楽に行ける。しかし、旅の楽しみは楽をして行ったのではあまり感動は湧かないだろうし、記憶にも残らない。苦労して到達した時こそ大きな感動を得る事が出来る。その間の苦労が大きければ大きいほど、又、その感動が大きく何時までも記憶の中に残ると思う。
 旅の醍醐味とはそう言うものではないだろうか。そこにはお金では買えない感動がある。金では買えないものがある。

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  ひとり旅

 「旅とは、知らない国への期待とその可能性に対して挑戦する行為の中にこそある。現在の旅行者はどうであろうか。未知への旅はありえない。あるのは確認という行為だけである。」シュテフアン・ツヴィクラー

 ひと汗掻いた後のビールは旨い。昭和初期まで活躍した物理学者の寺田寅彦は「喫煙四十年」の中で「みっしり働いてくたびれた後の一服が一番うまい」と書いた。寒さに耐えた後、太陽に手をかざすと、春の暖かさを感じられる。その喜びがここにある

 なけなしの大枚を注ぎ込んで何から何まで他人任せのパック旅行は何の苦労もない「居心地よい旅」に違いない。その代わり後に何の印象も残らない旅となってしまう。まるで気の抜けたビールのようだ。
 旅の途中の苦労が多いほど出会った風景への感激が大きい。きっと昔の人は旅の途中で見た富士山の風景は現代の旅人よりもづっと大きく感動したであろう。

 若し、ツアーのパック旅行が最高とお考えの方がおりましたら、一度、元祖バックパッカーと言って良いだろう旅の先輩「林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里」立松和平編岩波文庫や沢木耕太郎著「深夜特急」新潮社をお読みになることをお勧めします。きっと何か感ずるところがあると思う。


 「専用ガイドが終始張り付いてお供する海外旅行なんて、考えただけでもあずましくない。空港でそのガイドが気に入らなければ『チェンジ!』ってできるのだろうか。」-パラダイス山元の「おばんでございマンボ」- 2008/2/14 北海道新聞「おふたいむ」より


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