★ぶらり北欧(Scandinavia)

-北欧気まま旅-

ガイランゲルフィヨルド・ノルウェー/写真転載不可・なかむらみちお

お伽噺、童話の世界。ヴァイキングの故郷。
大地を切り裂くフィヨルド。大自然の驚異。
数億年もの太古からの氷河の流れが地球の大地を真っ二つに割る。
北欧に繰り広げられる壮大なドラマ。
その圧倒的なスケールを目の当りにすると、人智を超えた地球の営みにただ驚くしかない。

2005年7月1日から21日まで北欧を旅して来ました。

目  次

フィンランド
ヘルシンキ 

スウェーデン 
ストックホルム 

ノルウェー 
オスロT ドンボス  オンダルスネス ガイランゲル  ガイランゲルフィヨルド  ダレスニッパ  ミュルダール 
フロム  グドヴァンゲン  ソグネフィヨルド ベルゲン  スタヴァンゲル  リーセフィヨルド  オスロU 

デンマーク 
コペンハーゲン  ヘルシンオア 

帰国

         スケジュール
 2005年
7月1日(金) 札幌-新千歳 08:00-(JL2500)10:05 関空 11:50-(JL421)16:15 ロンドン 18:05-(AY834)23:00 Helsinki
  2日(土) Helsinki 17:00-(シリヤライン)
  3日(日) 9:30 Stockholm
  4日(月) Stockholm
  5日(火) Stockholm 8:50-(IC625)15:01 0slo
  6日(水) Oslo 8:07-12:05 Dombas 12:15-13:32 Åndalsnes
  7日(木) Åndalsnes 8:30-(バス)11:25 Geiranger 14:15 Geirangerfjord 15:45 Geiranger
  8日(金) Geiranger 9:30-11:00 Dalsnibba ll:30-12:15 Geiranger 13:00-13:15 展望台 15:20-15:35 Geiranger
  9日(土) Geiranger 7:30(7:20)-9:40 Sjeholt lO:00-11:20(バス) Åndalsnes 17:22-18:43 Dombas 18:49-22:42 0slo
  10日(日) Oslo 8:11-12:53 Myrdal 13:27-14:25 Flam 15:00 Sognefjord(観光船)16:50 Gudvangen 18:00-18:30 Flam
  11日(月) Flam 9:00-11:00 Gudvangen ll:40-12:50 Voss 14:35-15:52 Bergen
  12日(火) Bergen
  13日(水) Bergen 12:00-16:00 Stavanger
  14日(木) Stavanger lO:30 Lysefjordクルーズ(観光船)14:00 Stavanger
  15日(金) Stavanger O6:05-13:56 0slo
  16日(土) Oslo
  17日(日) Oslo O8:54-13:11 Hallsberg 14:38-15:41 Mjolby 16:16-19:33 Copenhagen
  18日(月) Copenhagen-Helsingor(Sielland) - Copenhagen
  19日(火) Copenhagen
  20日(水) Copenhagen 14:55-(SK505)15:50 ロンドン(ヒースロー)18:55-(JL422)
  21日(木) 14:55 関空 16:00-(JL2507)17:50 新千歳 - 札幌

     7月1日(金) 札幌-新千歳 08:00-(JL2500)10:05 関空 11:50-(JL421)16:15 ロンドン 18:05-(AY834)23:00 Helsinki
 自転車でバス通りまで行ってタクシーを拾い、麻生のバスターミナルから6時発のバスで新千歳空港へと向かう。
スカンジナビヤ半島  無事関空に着くと滑走路が雨で濡れていた。関空でのJALの搭乗口は手際が悪い。発表した搭乗時間になっても搭乗が始まらない。今日は満席だ。全員登場したが荷物室の扉が不具合だとかで、これから修理するという。既に出発時間が大幅に遅れている。その上、更に遅れる。ロンドンでの乗り継ぎはどうなるのか心配になってくる。結局1時間近く遅れて出発した。

      ロンドン(イギリス)
 ロンドンのヒースロー空港に着いてからも、空港ビルまでの途中で飛行機が待たされて更に到着時間が遅れた。かなり焦ってくる。空港内の乗継にはかなり長距離を歩き、更にバスに乗って第一ターミナルへと向かう。空港内はかなり複雑で疲れる。
 やっと出発10分前頃にフィンランド航空の登場カウンターに辿り着くことが出来た。私はどうにか間に合ったが、荷物の乗り継ぎはどうなっているのだろうか。うまく乗せてくれただろうか。人間様はかなり長い距離を歩いたり乗ったりして移動したが、荷物は車でダイレクトに橋渡しされるのだろうから、乗せ損なったということはあるまい。

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Finland(フィンランド)

ヘルシンキ/写真転載不可・なかむらみちお


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      Helsinki(ヘルシンキ)
 ヘルシンキ空港の荷物受取場に行くと、いきなり名前をアナウンスされた。私の荷物が未だロンドン空港にあるという。ガーン!! 係員は、明朝一番の飛行機に乗せて昼過ぎにホテルに届けるという。そうこうしている内にトランクだけは持って来てくれた。助かった。残るは三脚である。係員は空港から中心街まで行くバスの無料乗車券をくれたので、それでバスに乗り街へと向かう。
 中心街の中央駅近くにあるバスセンターからタクシーでホテルへと向かう。ホテルに着いたのは現地時間で7月2日になっていた。
 チェックインを済ませて部屋に入り、荷物を整理し、明日の準備をして寝る。シャワーもあるが面倒くさい。疲れた。

     7月2日(土) Helsinki 17:00-(シリヤライン)
ヴァイキング形式の朝食/写真転載不可・なかむらみちお  6時頃起床。外は当然明るい。快晴。8時から二階の食堂で朝食を摂る。ヴァイキング形式だが、取り立てて変わった食べ物はない。あえて挙げればパンが黒い。角食パンにハムとチーズを乗せてサンドイッチにする。他に大豆の煮たもの、フライドポテト、胡瓜の酢の物、人参と野菜の煮物、オリーブ漬、それにゆで卵、牛乳といったところ。食事を済ませた後、余ったゆで卵をポケットに入れて食堂を出る。
 ありがたいことに、ホテルの前にはトラムが走っている。フロントの女性にトラムで街へ行く方法を教えてもらう。三方を海に囲まれたヘルシンキの人口は約56万人。一国の首都とはいってもさほど大きな町ではない。町の中心はヘルシンキ中央駅周辺からエテラ港にかけてのエリアで、主な観光スポットやホテル、デパート、レストランなどが集中している。そのほとんどが歩いて回れる範囲にあり、道路もそれほど複雑ではないので歩きやすい。一歩外に出るとポプラの綿毛が逆光に舞っていって美しい。過ごし易い丁度良い季節のようである。
世界的建築家サーリネンの作品として有名なヘルシンキ中央駅/写真転載不可・なかむらみちお  先ず、中央駅前で下車。写真で見た立派な石像が入口の両脇を固めている。どこかエジプトで見たメナム像に似ていて堂々たる風格が感じられる。世界的建築家サーリネンの作品として有名である。そこから歩いてヘルシンキ大聖堂へと向かう。大聖堂の先端が居並ぶ高層ビルの上から少しだけ見えている。
 先ず、白亜の大聖堂の正面から撮影する。天に伸びる三つのドームがあるシンメトリカルな外観が美しい。逆光で難しい。中に入って見ると折しも若い女性の聖歌隊が来て、祭壇の前で賛美歌を歌いだした。
 石畳みの元老院広場を見下ろすように堂々とそびえ建つヘルシンキ大聖堂は、カルル・エンゲル設計によるもの。ドームを軸とした、シンメトリカルなデザインが印象的だ。ルーテル派の本山となる教会で、1852年に30年の歳月を費やして完成した。当初ドームは中央にひとつあるだけだったが、エンゲルの死後、他の建築家の手によって小さなドームが四隅に付け加えられた。元老院広場に面した大階段も後に造られたもの。
ヘルシンキの代名詞的な建物、聖ニコラス大聖堂/写真転載不可・なかむらみちお  大聖堂出て、マーケット広場へ向かおうとして大聖堂を振り返って見たら、青空の下に真っ白な建物が美しく輝いていた。緑の丸屋根の塔に、金の十字架が光っている。
マーケット広場。屋台がひしめくように並んでいる/写真転載不可・なかむらみちお  大聖堂から少し歩いった港の脇には屋台がひしめくように並んでいた。マーケット広場は平日の午前中は市が立っている。カモメの飛び交う下で野菜や果物、花、魚を売る人、買う人。ヘルシンキの台所が覗ける。焼肉、焼きスパゲッティ(?)のようなものを売る店、小物のお土産屋、民芸品店などなど…。ここで家に出す絵葉書を一枚買った。港の岸辺には漁船が船尾を岸壁に着けて魚の干物を売っていた。そこから目の前には、今日の夕方乗るシリヤラインの巨大な豪華客船が岸壁に横付けになっていた。今夜はあれに乗ってヘルシンキへと向かう。
 マーケット広場からもう一度大聖堂前を通って中央駅前へと戻り、そこからテンペリアウキオ教会へと向かう。この教会はあまり見たいと思わなかったが来たついでだし、他に特に見るものもないから行ってみる。
教会らしくないテンペリアウキオ教会の正面入口/写真転載不可・なかむらみちお  直射日光に照らされた道を黙々と歩いて、ようやくテンペリアウキオ教会に辿り着いた。なるほど写真で見たように教会の周りが自然の岩石を積み重ねたような形をしている。やや饅頭を連想させるようなペタンコの形をした教会だ。奇抜な形のこの教会はどうもキリスト教会としてのイメージが結び付かない。教会の前の道路には観光バスが連なって駐車しているので、矢張り人気のある処なのだろう。
 その教会は、すっぽりと岩に包まれたデザインがユニークである。岩山に建てられ、壁面もすべて自然岩を利用し、その上にガラス・銅による芸術的な屋根を配した超近代建築で、ほこらのような斬新な建築として評判である。
教会の内部/写真転載不可・なかむらみちお  奇抜な教会といえばブラジルのリオデジャネイロにあった教会はピラミッド型であり、フランスのルーアンの旧市場広場中央にある万博のなんとかパビリオンみたいな現代的な雰囲気の教会とか、スペインのバロセロナ郊外にあった教会もガウディの初期の作品とかで丘の中に埋まったような教会で不思議な形をしていた。日本のお寺では宗派は違ってもどこも一見して仏教のお寺と分る形をしているが、キリスト教の教会にはそんなイメージの制限はないらしい。
 中に入って見ると、天井は丸くガラス張りになっており、中も円形である。そのひと隅の低い所に祭壇がある。まあ、それぞれの流儀なのだから一向に構わないが、これが宗教芸術のひとつなのかも知れない。
 教会から少し駅の方へ戻ったところでトラムに乗る。運転手に教えられた所で別の路線に乗り換える。ここのトラムは1時間以内なら何度乗換えても料金は同じである。乗換えたトラムはやがてさっき私が行ったマーケットの横を通り、シリヤラインの乗場の前を通り、ホテルとは反対方向をぐるりと回って昼過ぎにホテル前に着いた。
シリヤラインの豪華客船が岸壁に横付けになっている/写真転載不可・なかむらみちお  三脚が届くまでには未だ時間があるので、フロントで家に出すはがきを書いた。それを近くのキオスクへ行って切手を買い、ポストに投函してホテルへ戻る。未だ時間があるので、近所のミニスーパーを訊いて今夜の食料を買いに行く。フィンランドでは、ほとんどの商品に22%の付加価値税(VAT)が課せられているから日本に比べて物価が高い。
 そろそろいい時間なのに一向に三脚が届かない。痺れを切らしてフロントに頼んで航空会社に電話で訊いてもらった。すると予定の便には乗っていなかった。明日、ストックホルムのホテルへ届けるとのことだった。じゃ、という訳でホテルを出発してシリヤラインへとトラムで向かう。
 シリヤラインの受付カウンターの前には長い行列が出来ていた。私の二人前の女性の客のところで手間取っており、中々進まない。いい加減にイラ付いてくる。

船の内部。まるで浮かぶ豪華ホテルである/写真転載不可・なかむらみちお  ようやく乗船。凄い! 船の中に入ると船の中央部が一丁か二丁続く商店街だ。天井まで吹き抜けとなっており、総ガラス張りの天井からは明るく太陽の光が差し込んでいる。船の中にいるとは思えないほどの開放感がある。通路の両側にはお土産屋を始め衣料品店、レストラン、バー、喫茶店などの店が連なる。免税店やスーパーマーケットもある。カジノやサウナ、プールもあると言う。二階から上の両脇には上級客の部屋の窓々が高層アパートのように天井まで連なっている。まるで浮かぶ豪華ホテルである。その中を通って奥のエレベーターで船底に近い安い部屋へと向かう。
 部屋に入ってみると、四人部屋と聞いていたが、二人部屋でひとつのベッドは畳まれていた。どうやら一人で使うらしい。部屋にはベッドを初めロッカー、トイレ、シャワー、机とあまり広くもない部屋にほど良く配置されていた。出航には未だ間がある。取り敢えず荷物を部屋に置いて、先ほどのプロムナードへ行ってみる。
 お土産屋でムーミンの木彫りを見つけたが10.50ユーロ(為替レート、1ユーロ=139円)と高い。家では行ったところの特徴ある人形などを買い求め、記念にと飾り棚に飾っており、これはそこにピッタリなのだが矢張り売っている場所柄か思ったよりも高いので一先ず考えてみる。プロムナードの一角には案内所もあり、四人程の女性が応対していた。
ヨットハーバー/写真転載不可・なかむらみちお  やがて出航の時間が近付いてきたので、エレベーターで12階の上甲板に出てみた。船はヘルシンキの岸壁を離れ、静かに港を後にした。定時出航だ。船上から見るヘルシンキの街も美しかったが、船首から見た前方に展開する小島の風景も素晴らしかった。ヘルシンキからストックホルムの間にアーキペラゴ(諸島)が6500島在ると言われている。船上からのこの美しい絶景には流石に息をのむ。北欧は海を旅してこそ“北欧の旅”だと思う。
 フィンランド人の多くは、郊外に別荘を所有しているという。そして、そのログハウスの多くにはサウナが付いている。ここから見える島の岸辺に建つカラフルな家々はその別荘なのかもしれない。その島の岸辺近くを船が進むので写真を撮ることも出来た。
絶景に息をのむ/写真転載不可・なかむらみちお  スカンジナビア半島の内側、バルト海の一番奥に位置するフィンランドは、太古の神秘を湛えた黒い森と湖が広がる国で童話のムーミン、そしてサンタクロースの故郷として知られている。北緯60度から70度にわたり南北に細長く、国土の三分の一は北極圏内に位置し、国土の総面積が338,00平方qである。そこに519万人ばかりの人が住んでいる。これは1平方q当たりにすると約15人くらいである。狭い国土に約一億の人口がひしめきあっている日本からみると、羨ましい限りである。
 船は波ひとつない鏡のような静かな海面を滑るように進む。ワイングラスを片手にデッキのベンチにひとり座り、バルト海の潮風を受けてただぼんやりと流れ行く森と島々の景色を眺めていると、どこからともなく北欧情緒豊かなシベリスの交響曲第二番の第二楽章が聴こえてきた。因みに私が乗ったこの巨大な豪華客船は、「シンフォニー号」(6万d)という名の船であった。

船は静かな海面を滑るように進む/写真転載不可・なかむらみちお  ※シベリウスは、この曲にとりかかるころ、すでに交響詩「フィンランディア」をはじめ、「カレリア」組曲、交響詩「伝説」、交響詩「トゥオネラの白鳥」といった曲を作曲していた。また、「交響曲第一番」は、「フィンランディア」と同じ1900年に完成されている。「私のレコードライブラリー」(志鳥栄八郎著)葛、同通信社発行より

 夕陽が落ちる頃には、島影もなく大海原をただひたすらストックホルムへ向かうだけなので見るべきものはなかった。
 部屋に入って持ち込んだワインを飲み、朝日の出る時の模様を撮るべく、資料を見て日の出前の時間に目覚まし時計をセットしてベッドにもぐり込む。

     7月3日(日) -9:30 Stockholm
シリヤライン  昨夜は海上の夜明けの模様を撮影するために目覚まし時計を資料を元に3時40分にセットして寝た。この時季、ストックホルムの日の出は3時40分。ヘルシンキは4時となっている。目が覚めて気が付いてみると4時だった。急いで着替えて上甲板に出てみると、すでに船尾の方角から太陽が登って眩しく輝いていた。今日も快晴。風もなく、波は静かでまるで湖の上を走っているようだ。
 太陽が水平線の彼方から顔を出してから、すでに20分ほど経っているようで、写真としてはあまり面白い様子ではない。多少期待はずれだった。日の出前に空が紅く輝くところは見られなかったが、多分この空の様子ではそれは無かったようなので、一先ず納得。晴れていても空が紅く美しく輝くということは自然現象の奇跡を待つわけだから、そんなにめったに見られるものではない。
 キャビンに帰ってから目覚まし時計のセットをチェックしてみた。日本を出発する前に電池を取替えてチェックしてあるので、間違いはないはずだ。案の定時計には問題はない。するとやはり旅の疲れで気付かなかったのだろう。早起きの私としては珍しいことだ。時差ボケのせいかも知れない。それと時間の設定だが、考えてみると、ストックホルムとヘルシンキの間には1時間の時差がある。それを考慮に入れるのに気付かず、スウェーデンを元に推察して設定したのが間違いの元であったようだ。
家の形や色合いが周りの自然と調和がとれていて美しい/写真転載不可・なかむらみちお  1時間ほどキャビンで休んだ後、洗顔してから再び上甲板に出てみた。海は波ひとつ無くまるで湖のようだ。船は鏡のように静かなバルト海に浮かぶ大小の小島の間を滑るように縫うようにして走る。朝日に輝くそれらの島々の緑の森が美しい。岸辺にボートを浮かべた家が建っている島もある。家の形や色合いが、周りの自然と調和がとれていて実に美しい。しかも、その風景は、日本のように箱庭的ではなく、雄大そのものである。

ムーミンの木彫/写真転載不可・なかむらみちお  8時頃から船内の売店も開き始めた。昨夜気になっていたムーミンの木彫を買うことにした。少々高すぎるとも思ったが、もうこの先ではフィンランドの品は売っていないし、フィンランドの思い出の品は何一つ買っていないので、記念の飾り物として思い切って買ってしまった。帰り掛けに寄ったスーパーでキシリトールのガムをお土産に買った。フィンランド生まれのキシリトールは虫歯を抑制する甘味料で、最近日本でも良く耳にするようになった。フィンランドでは、食後にキシリトール入りのガムをかむ習慣を普及させ、子供の虫歯を大幅に減らすことに成功したという。
 店の帰り、船の中のプロムナードを歩いていると、向こうから日本人の船の案内人と出会って挨拶を交わした。ついでに着船後のストックホルム港から市の中心部まで行く連絡バスを確認の為尋ねた。するとバス券もここの案内所で買えるということなので、一万円札を両替してもらって購入する。下船してから両替しようと思ったが、ここで両替して結果的には良かった。

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Sweden(スウェーデン)

ドロットニングホルム宮殿/写真転載不可・なかむらみちお


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      Stockholm(ストックホルム)
 船は予定通り9時半にストックホルムの港に着岸した。早速下船。思ったよりもスムーズに流れる。船を降りた目の前に市中心部へ行くバスが停まっていて、すぐに乗ることが出来た。
 バスは程無くセンターステーションに着く。そこから行き交う人に道を訊きながらホテルへと向かう。暑い! ホテルまでは500〜600mと高をくくっていたが、探すのに意外と手間取った。
 ようやく探し当てて、入口のドアのインターフォンを押して中に入る。大昔の手動式のエレベーターでフロントへと向かう。フロントには主人らしい男が応対してくれた。現金なら一泊750クローネ(為替レート1SEK=15.17円)のところを725クローネに負けてくれるというので日本円の現金で2泊分2万円を払った。それでも未だ足りないというので私も電卓を出して計算を始めたがどうも合わない。彼は2万円での不足分をクローネで払えと言っているようだ。面倒なので船で1万円両替したなけなしのクローネを出して支払い、けりが付いた。後で計算してみると、私のレート設定が間違っていたようだ。部屋にはシャワーと洗面所があるがトイレはない。トイレは部屋を出た廊下の脇にある。これで一泊一万円以上だ。スウェーデンでは、ほとんどの商品に21〜25%の付加価値税(VAT)が課せられているので日本に比べて物価が高い。
北欧を代表する名建築の誉れ高い市庁舎/写真転載不可・なかむらみちお  早速ホテルを出てストックホルム中央駅の西側、徒歩でおよそ5分の所にある市庁舎へと歩いて向かう。市庁舎は、ナショナルロマンチックスタイルとして、スウェーデンの代表的な建物のひとつである。水の都ストックホルムにふさわしい優雅で厳粛な気品を漂わせて、メーラレン湖畔にその姿を映している。宮殿か古城を思わせる堂々たる佇まいだ。106mの塔、全体を覆う赤レンガの質観、ゴシック風の窓、ビザンチンスタイルの輝かしい金色の飾り、様々な様式を取り入れながら、見事に調和がとれている。800万枚のレンガで築き上げられた建物には事務室、会議室、祝賀室などがある。
ブルーホールの大広間/写真転載不可・なかむらみちお  内部に入ると、先ずブルーホールの大広間がある。中世イタリアの広場を思わせるデザインで、高窓から採光が効果を見せ、赤レンガの壁面は石の面を突いて細かな痕を残した小さな「敲(たたき)仕上げ」。コンサートに式典にと種々の目的で使われている。最も有名なのは、毎年12月10日に開かれるノーベル賞受賞祝賀晩餐会だ。
 快晴の太陽の光の下を歩いて来たせいか、市庁舎の中は以外と暗い。果たして手持ちで写真を撮れるのだろうか。カメラで光量を計ってみるとなんとか撮れそうだ。ガイドに案内されて中を見て回るが、私には何を話しているのかさっぱり分らない。頭から聞く気がないから写真撮影に没頭する。二階はヴァイキングルネッサンス様式で構成された天井を持つ市議会の議場だが照明が落とされているので薄暗くて写真を撮るのは不可能だった。
ノーベル賞受賞祝賀パーティの催される黄金の間/写真転載不可・なかむらみちお  ハイライトは黄金の間で、1900万枚の金箔モザイクで飾られた壁面は豪華絢爛そのもの。ここは、ノーベル賞受賞祝賀パーティーの舞踏会用広間として使われる。黄金の間も撮れたので感激した。
 外に出てから建物の全景を撮った後、タワーに上ってみることにする。塔に上るには、内庭を挟んで東側入り口から入るが、入口で10人以上の人がいつも入場の順番を待っているので時間が掛りそうだ。どうしようかと迷ったが、他に高い所から海に浮かぶストックホルムの街並みを写す所を探すのももっと大変なようなので登ってみることにした。
 にはエレベーターで登るのだが、エレベーターは途中までで後は徒歩。この先の階段を上るのが大変だった。ドイツのロマンチック街道にあるディンケルスビュールにある聖ゲオルク教会の塔に登った時も大変だったことを思い出した。スペインのセビーリャにあるヒラルダの塔のように塔の縁側に設けられた石段をぐるぐると上るのだか、ヒラルダの塔ほど道幅は広くなく、下りの人とようやくすれ違えるほどの狭さである。
水面に映えるストックホルム/写真転載不可・なかむらみちお  未だか未だかと言うほど先が遠く、ようやく頂上に着いた。塔からのストックホルムの街のパノラマはメーラレン湖を見下し、市内、旧市街の屋根のシルエットが映えて素晴らしい。さながら北欧のベニスと言うところ。ストックホルムが水の都であることがよく分る。早速愛用のカメラのシャッターを押す。
 塔から降りて来る途中で中国人らしいグループと一緒になったが、その中の一人の老人が上手な日本語で話し掛けてきた。聞けば、彼らは台湾人で、昔、日本の小学校に入ったことがあると言う。私が一人で旅をしていることにひどく感心していた。
ガムラ・スタン(旧市街)/写真転載不可・なかむらみちお  市庁舎を出てからストックホルム発祥の地であるガムラ・スタン(旧市街)へと向かう。王宮を中心に下町が広がっている。昼近くとなり腹が減ったがレストランに立ち寄る時間が惜しい。途中で見かけた屋台でソーセージサンドを買ってそれをかじりながら先を急ぐ。信号機の在る交差点を渡るといきなり目の前に大聖堂の塔が見えてきた。そこを撮影した後、王宮へと向かう。
観光馬車/写真転載不可・なかむらみちお  スウェーデンはスカンジナビア半島の東側を占める北欧最大の国。国土の約半分が森林で9万以上の湖が点在し、バルト海に面して2700万qもの海岸線が続く。東はフィンランド、西はノルウェーに接し、南はオーレスン海峡を挟んでデンマークと向かいあっている。ノルウェーと共にヴァイキングの末裔の国である。今は高度の生活水準を保つ福祉国家であり、ノーベルをはじめ多くの科学者を世に送る文化国家である。又、スウェーデンは映画や音楽の方面で多くの有名人を輩出している。映画界では監督のイングマール・ベルイマンや女優のグレタ・ガルボ、アニタ・エクバーグ、スカーレット・ヨハンソンもスウェーデンの出身。音楽界で先ず挙げられるのがABBA。他にスウェーデンポップスのカーディガンス、メイヤなどがいる。
交替式に向かう衛兵/写真転載不可・なかむらみちお 王宮/写真転載不可・なかむらみちお  王宮はガムラ・スタンの北側に建つイタリア・バロック、フランス・ロココ様式、三階建ての堂々たる建物。代々王室の居城として使われてきたが、現在は郊外のドロットニングホルム宮殿に移った。入場して見学することが出来る。
 王宮からガイドブックの地図に添って石畳を踏みしめ、中世の香りを感じながらガムラ・スタンをひと通り歩いて見て回る。ガムラ・スタンの中心、鉄の広場はかつて市が開かれ、又罪人がさらされた場所でもある。積み重ねた歴史が垣間見られる。その傍らにスーパーマーケットを見付けたので食糧を買い込んで一時の空腹を満たした。
小路/写真転載不可・なかむらみちお  写真で見たようなガス塔のある坂道の先に大聖堂の塔が見える場所が見当たらない。その付近に居る人などに訊いて見てもハッキリしない。大聖堂の周りを何度か回って探してみても分らなかった。不思議なこともあるものだ。大聖堂は13世紀に建立されたストックホルム最古の由緒ある教会で、長い間国王や女王の戴冠式や結婚式などの儀式が行われた場所である。ヴェステルロングガータン通りは、13世紀に歴史をさかのぼる繁華街で、石畳の歩道沿いには土産物店が軒を連ねる。
 歩き疲れたので一旦ホテルに帰ることにする。4時を回ったというのに日差しは尚も厳しい。脱水症状気味で頭もくらくらするので日陰を選んで帰途に着く。目印の中央駅が分からなくなったので何度か通り掛った人に尋ねながら先へ進む。どうも今日はいつもと違って方向感覚の感が冴えない。歳のせいとは思いたくないが…。
 北欧はビールが高いとガイドブックに書いてある。暑くて飲みたい。しかし、ビールはプリン体が多く、痛風予備者としてはなるべく我慢しなければならない。しかし飲みたい。反芻苦悶しながらやがてホテルの前に着いた。しかし尚もビールに執着する。付近の商店を見回したが、スーパーらしきものがない。するとホテルの並びの5、6軒先に店の前に果物や野菜のようなものを並べた小さな店があった。もしかしたら…。駄目元で行ってみる。中に入ると軽飲料水を冷やしているガラスケースがあった。応対してくれた店の主人に尋ねると、悪戯っぽく「大?小?」と訊く。有るらしい。この主人は少しひょうきん者のように明るかった。小の缶ビールを受け取るとその場で一気に飲み干した。美味かった! スウェーデンではアルコールが購入出来るのは、政府直営のリカーショップ、システム・ボラシェットのみ。料金は333mlのビール1本20〜30SEKと高い。
 部屋に帰ってシャワーを浴び、今日一日で使ったフイルムを整理したり新しいフイルムを補充したり、資料を整理して明日の行き先の下調べをしている内に眠くなってきた。時差調整のためにはもう少し起きて居たかったが、眠気に堪らず7時半過ぎにはベッドに潜り込んでしまった。

     7月4日(月)晴 Stockholm
 今日も快晴。右の空を見上げても、左の空を振り仰いでも雲一つない青空である。今日も暑くなりそうだ。
フィヨルド入江沿岸の家々/写真転載不可・なかむらみちお  今日は船で市の北西15qにあるドロットニングホルム宮殿へ行ってくる。乗船場は昨日行った市庁舎の脇で、昨日見掛けたので場所は分っている。10時出発の一番船に乗り込むためにホテルを9時過ぎに出発する。
 船乗り場には15分前に着いたが、すでに乗客が20人ほど居てチケットを買っていた。船乗場に並ぶと間もなく乗船が始まった。見晴らしの良い上甲板の長椅子に席を確保する。船は一路ドロットニング宮殿へと滑るように向かう。波ひとつなく、まるで湖上を走るのと全く変わらない。途中の岸辺には赤レンガの屋根が緑の木の間に点在し、地球の大自然の美しさをいかんなく発揮した風景が見られる。又、所々の砂浜らしいあまり広くない岸辺では大勢の海水浴客の姿も見られた。
フランス風の華麗なドロットニングホルム宮殿/写真転載不可・なかむらみちお  一時間ほどで船はドロットニングホルム宮殿前の桟橋に到着。早速宮殿へと向かう。ここは1682年に完成したイタリアやフランスの影響を受けたバロック様式風三階建ての建物で、北欧のヴェルサイユと呼ばれる離宮である。
 宮殿の中は写真やビデオの撮影は禁止で、リックなどの荷物は入口脇のカウンターに預ける。宮殿の中はロココとバロック形式でまとめられているが思ったよりも簡素である。
宮殿の裏の庭園/写真転載不可・なかむらみちお  中をひと通り見た後、宮殿の裏の庭園へ回る。前面に広がるのはフランス庭園、左右に菩提樹の並木を隔ててイギリス庭園がある。公園は常時一般公開している。庭園を通って左手奥の丘の上に建つチャイナパピリオンへと向かう。この頃から暑くなってきた。
衛兵/写真転載不可・なかむらみちお  12時過ぎチャイナパビリオンへ到着、先ず、パビリオン前で日陰を探し、芝生の上で持ってきた昼食を食べる。チャイナパビリオンの中には昔の中国から取り寄せた書画骨董品など様々な芸術作品が展示されていた。当時、これほどの作品を集めるのには結構大変であったろうと想像される。当時の人のアジアに対する理解の度が知れて面白い。
 船着場に戻ってくると船は行ったばかりであった。1時間毎に出発するので、その付近の芝生の木陰で次の便を待つことにする。歩いている時は暑かったが、じっと木陰に居ると多少風があるために寒いくらいだ。思い切って日向のベンチに掛けてみるとそれほど暑くなかった。
水上バイク/写真転載不可・なかむらみちお  14時発の船で来た時の海路をストックホルムへと戻って来た。来た時と同じ風景がフイルムの巻き戻しのように来た時とは逆に次から次へと展開する。途中で水上バイクが近付き、われわれの船が掻き分けた波の上を右に左に何度も勢いよく飛び跳ねてスリルを満喫していた。

メーラレン湖畔に建つ市庁舎/写真転載不可・なかむらみちお  船は50分程で最初に乗り込んだ市庁舎脇の船着場へ着いた。そこから歩いてセントラルステーションへ向かい、明朝オスロへ行く列車に乗るための下調べをした。同時に、重い荷物を引き摺って来るための道順の点検も入念にした。勿論、エスカレーターやエレベーターの位置も確認した。これで明朝は焦らなくとも済む。
 途中、デパートに立ち寄り、缶ビール一個と明日の昼用と今夜の夕食用のパンを買ってきた。ビールよりもワインを…とも思っていろいろの店を探してみたが売っている店が見付からなかった。
 ホテルに着いて部屋に入ると、椅子の上に航空会社がミスをして受け取ることが出来なかった三脚が置いてあった。しばらく振りのご対面である。まずは買ってきたビールで乾杯! その後、おもむろに三脚をチェック。どこも悪くない。目出度し、目出度し。今日の後始末と明日の出発準備をして今日も疲れたので早めに寝る。

     7月5日(火)晴 Stockholm 8:50-(IC625)15:01 0slo
ヴァイキング料理はスウェーデンが発祥の地/写真転載不可・なかむらみちお  朝5時に目が覚めたので起きて書き残しの日記を書く。7時に事務所の扉が開くのを待って食堂へ行き、朝食を摂る。いつもと変わらないヴァイキングだ。ヴァイキング料理はスウェーデンが発祥の地である。チーズ、ハム、トマトと胡瓜の輪切り、パン四種類とジャム四種類位。あまり品数が多いとは言えない。朝食を済ませたあと、少々早めだが荷物を持って駅へと向かう。朝の商店街は清々しい。今日も快晴で強い日差しが照り付ける。
 順調に駅に到着。乗車のプラットホームナンバーを確認する。スウェーデンのSEK(クローネ)はここまでしか使えない。未だ発車まで時間があるので残りのコインで絵葉書と切手を買う。これでピッタリとコインを使い果たした。上手くいった。駅の片隅にある郵便局で長男夫妻と孫宛に絵葉書を書いて投函する。
ストックホルムからオスロへ  列車は定刻通りStockholmの中央駅を後にする。隣の席には若い青年が座った。駅を出て間もなく車窓からは、ルピナスの花が満開に咲いているのが至るところで見られた。やがて湖や草原などが交互に見え、牧場もあって馬が放牧されていた。又、刈り取った牧草をビニールで梱包したロールも見かけた。どこか北海道の風景を思わせる。と、言うよりも、北海道が北欧の真似をしたという感じだ。ワイングラスを片手に車窓を眺めていると森と湖に包まれた静かな湖畔に赤い瓦屋根の家が木立の中に点在していて絵のように美しい。メルヘンの世界だ。思わず私達が結婚した当時に流れていたメロデーが鼻歌となって出てくる。♪森と湖に囲まれて静かに眠るブルーシャトー…。隣の青年は誰かと携帯電話で話をしている。それが終ると今流行のデジタル音楽機器で音楽を聴き出した。どうやらロックらしい。大音響で聞いているから耳に掛けたレシーバーからその音がかなり漏れてくる。
 列車の進路を地図に落としながら車窓を眺める。前の席には黒人の母子4人が座っており、かなり賑やかだ。その反対側には若い4人組みがおり、その中の一人の青年がかなり大きな声で話している。その声は濁りとかなり強いアクセントで粗野な感じがする。多分スペイン語なのだろう。
 前の席の男の子が立って来て何やら私の席の床を見ているようだ。よくみると何か液体が流れているようだ。多分小さな子がジュースでも溢したのだろう。足元がべた付く。また足元に置いておいたパンなどの入った私のビニール袋にオレンジ色のような液体の雫が付いていて粘る。
 昼過ぎになって隣の青年が棚から釣竿と寝袋のようなものとボックスを降ろして列車から降りて行った。換わって隣にはおばさんが座った。

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Norway(ノルウェー)

ガイランゲルフィヨルド/写真転載不可・なかむらみちお


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      Oslo(オスロ)
 ノルウェーという国名には、「北への道」という意味がある。その名のとおりノルウェーは世界地図の遥か北部に位置し、本土の北半分が北極圏にある。
 帯状に延びる気候温暖な海岸地帯から一歩内陸に入ると、天候の厳しい山脈地帯になる。海岸線は内陸へ最大で200kmも入り込んだフィヨルド(峡湾)をなす。フィヨルドの周囲は標高1,000mにも及ぶ高い崖が水面から直立し、ノルウェーを代表する観光名所になっている。
 オスロの駅に定時に着き、先ず両替所を探した。この駅は想像していた以上に大きくてモダンで広く、ドーム型の屋根が架かっている。
 駅の案内所が目に付いたので立ち寄って17日のコペンハーゲンへの行き方を尋ねてみることにする。窓口では若い青年が応対してくれた。ここからコペンハーゲンへ行くこの日は日曜日なので普段とは列車ダイヤが違う。日本で調べたところではかなり不便で乗換えながら回り道をして行かなければならず、到着時間も大幅に遅れる。もっと良い方法はないものか相談してみることにする。応対してくれた窓口の青年は、私の片言の英語に答えていたが、その内日本語で話してくれた。訊けば2ヶ月間ほど大阪近くの日本語学校で日本語を学んでいたそうで、たどたどしいが話は良く通じる。そこで17日は日本で調べたのより少し早い列車を見付けてくれて席を予約してくれた。
 ついでに他のこれから行く分もチェックしてもらったら、予約が足りないということで追加して予約して貰った。来る前に一応日本の専門旅行代理店にも見て貰ったのだが当てにならないものだ。
 ホテルは駅を出て2〜3丁角を曲がった所にすぐ見つかった。フロントでは若い女性が応対してくれた。チェックインを済ませたのは5時過ぎだったが、未だ明るく晴れていて勿体無いのでヴィーゲラン公園に行くことにした。
 ホテルから2〜3丁歩いて地下鉄駅Stortingetから二つ先のMajorstuenで下車、バスを探す。バス停にいたアベックに乗車するバスを尋ねたら、その先を指差し、ヴィーゲラン公園ならあそこなので歩いて行ったら良いという。Kirkeveien(キルケべイン)通りを10分程歩いてヴィーゲラン公園の正面入口に着いた。
芝生では男も女も裸で日光浴をしている/写真転載不可・なかむらみちお  園内には芝生に被われたピクニックエリアや菩提樹の並木道があり、その周りに無数の彫刻が置かれている。彫刻の数は193体、刻まれた人間の数は、人造湖脇の胎児から噴水にある骸骨まで合せると650体以上になる。芝生では、男も女も裸で日光浴をしている。なまじ衣服を身にまとった旅行者は目のやり場に困る。太陽に恵まれない北欧では、こうして僅かの陽光に全身をさらすのが、健康の秘訣なのだ。
 公園が世界的に有名なのは、“北欧のロダン”と称されるGustav_Vigeland(グスタヴ・ヴィーゲラン)の彫刻が、150以上も集められているからである。公園のメインゲートから入って真っ直ぐ、先ず橋の周辺の作品群は彼の後期に属する。
怒りん坊/写真転載不可・なかむらみちお  人造湖に架かる橋の欄干に立っている怒った男児が片足を上げて立っている「シンナターゲン(怒りん坊)」の像を見付けて早速一枚写す。この像は表情のない作品が多いヴィーゲラン公園の中でも人気ものだが1992年冬に足が切られ、どこかに持ち去られてしまった。後日発見され再び公園に戻った。よく見ると、切られた部分が少し光っている。その先に、これも人間が支える噴水の先に象徴的な「人間の塔」が少し小高いところに建っている。
「人生闘争」を描いている人間の塔/写真転載不可・なかむらみちお  “人生”。それがヴィーゲランの生涯のテーマであり、その極致がこの老若男女120人の人間達が、必死に頂上へ這い上がろうとする“人生闘争”を描いている『人間の塔』と呼ばれる円柱である。高さ17mあまり、総重量260dの花崗岩で出来ている。周囲の階段には、更に彼の作品が36体並び、異様な雰囲気をたたえている。
 この時間になっても未だかなり暑い。日陰を選びながら進み、何体かの像を撮影する。像はよく出来ている。これ全部を一人の彫刻家が造ったとは到底想像もつかない。一見の価値がある。しかも、公園は24時間無料開放だ。
園内には数え切れないほどの彫刻が並ぶ/写真転載不可・なかむらみちお  帰り掛けに少々オシッコがしたくなった。公園入口にトイレとレストランとが一緒になった建物があった。ここは「公園」なのだから無料のトイレがあるだろうと思ったが、行ってみるとコインを入れて扉を開ける仕組みになっていた。外国では無料のトイレは先ず無い。
 先ほど来る時に降りた地下鉄駅に着き、切符を買おうとしたらボックスの中の女性は帰り支度をしていて応じてくれない。時計を見ると7時2〜3分前を差していた。仕方がないので通り掛かった人に教わりながら自動販売機で切符を買った。
 行に最初に乗車したStortinget駅を出て夕食を食べようと思い、通り掛かりのレストランに寄ってみたがガイドブックに書いてあった料理はどこにもなかった。客を見ると夕食時間というのにほとんどが喫茶店感覚でビールを飲んで談笑していた。いったい彼らはいつ何を食べているのだろうか。もし適当なものを食べていたらそれをウエィトレスに指し示して注文しようとしたが、これは出来なかった。已む無く又今日も部屋食か…。
 ビールはなるべく避けたいのでワインを探したがどの店にも置いてなかった。ガイドブックによるとアルコールを売る店は限定されているらしいし、値段もかなり高い。ようやくオスロ駅構内でスーパーマーケットのような店を見付け、ビールとハム、チーズを買った。パンは地下鉄に乗る前の店で3個買ったのが有るのでそれでいい。ノルウェーでは、ほとんどの商品に24%の付加価値税(VAT)が課せられているので日本に比べて物価が高い。
 冷えたビールが温まらない内にホテルに急いで帰って缶ビールを開ける。今日も疲れた。外は未だ明るいが10時を回っているので眠たくて頭がくらくらする。それでも明日はガイランゲルへ持って行く荷物とホテルに預けてゆく荷物の仕分けをしてから寝た。

     7月6日(水)曇りのち晴れ Oslo 8:07-12:05 Dombas 12:15-13:32 Åndalsnes
 今日も4時に起きてしまった。未だ時差ボケが治らないらしい。窓のカーテンを開けてみると、ビルの上に朝焼けが美しい。少し雲が出てきたようだ。今日も暑くなりそうだ。
オスロからオンダルスネス  ノルウェーの鉄道はフィヨルドに依って遮られているのでオスロを起点に放射線状に延びており、地方都市間を結ぶ路線は少ない。後日再びオスロに帰って来るのでガイランゲルには必要最小限の荷物を持ち、後はこのホテルに預けて行く。フロントに荷物を預け、朝食を済ませた後、少々早いが駅へと向かう。
 出発便用の大電光掲示板を見るが、行き先が分らないため、どの列車か確認出来ない。案内所に行って尋ねると16番ホームというのでそちらへ向かう。ホームには未だ数人の客しかいない。
 やがて列車が入って来た。流線型のなかなかハイカラな列車だ。早速乗り込んで指定席に付く。列車はほぼ満員の客を乗せて定刻に出発する。車窓からは大きな河が見え、この川沿いに列車が両側にそそり立つような山脈の間を北へと走る。途中で見かけた川の岸辺近くに沢山のキャンピングカーが集まっている所もあった。

      Dombas(ドンボス)
 ドンボスで乗換えると更に窓外の景色は厳しい崖の連続となり、山の上からは山腹を幾筋もの川が流れ落ちて滝となっていた。今まで見たこともない珍しい風景だ。途中何ヶ所かで景観案内のアナウンスが入った。やがて川沿に列車が走る。ここでもその川のあちらこちらの湖の岸辺にはキャンピングカーの群が駐車している。しかし、日本のように釣りをしたりモーターボートなどを走らせてレジャーを楽しんでいるような風景は見られない。たっぷりと有り余る緑と大自然の空気と風景を吸い込んで自然の懐に抱かれて自然の恵みを満喫しているようだ。

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      Åndalsnes(オンダルスネス)
 定時にオンダルスネスに着いた。早速駅の中にある観光案内所に立ち寄って帰りのバスと明朝ガイランゲルへ向かうバスの時間を尋ねた。日本ではどうしてもこのバスの時間が分らず、9日の帰りの列車との接続が気になっていたところだ。案の定日本で予約して来た列車には接続しない。その足で再び駅の窓口へ行って次の列車を予約した。
フィヨルドの湾岸/写真転載不可・なかむらみちお  早い到着だったのでホテルへ急ぐ必要はない。駅前の向こうにフィヨルドの湾岸が見えているので行ってみる。景色が良かったので写真を撮る。その後、今夜飲むワインを探すと巧い具合にワインショップが見付かった。そこで60.00NOK(為替レート1NOK=16.93円)の赤ワインを一本買ってからホテルへと向かう。
 北欧四ヶ国とも、18歳未満の人の飲酒は不可。ノルウェー、スウェーデンは特にお酒に対する規制が厳しく、ライトビール以外のアルコール類は、政府公認のリカーショップでしか購入できなく、またその値段も高い。北欧はどこへ行っても日本よりも物価が高くて困る。一方、あちらこちらのキャンプ場には沢山のキャンピングカーが停まっており、湖には多くのヨットが係留されている。この国の人々は自然と共存し、心豊かに暮らしていると同時に、経済的にも日本よりも遥かに豊かなようだ。多くの人達は郊外に別荘を持つと言うし、街にはおもらいさんを見かけないのがその証だろう。
 ここに着いた時には曇っていたのだが、今は晴れ上がって暑くなってきた。荷物を担いで街外れにあるホテルへと向かう。行けども行けどもそれらしいホテルは見付からない。途中のロータリー付近から地図とは地形が違い、分からなくなってしまった。そこで立ち止まってしばらく通行人の来るのを待った。すると自転車に乗った老人が来た。道を尋ねたが答が要領得ない。ぼけているようだ。彼からみると私の方がぼけているように見えたかも知れない。とにかくもう一度地図を見直してそれらしい方向に歩く。およそ20分と訊いてきたがそれ以上あるような気がする。
まるで農家みたいに麦畑の中にポツンと建っていた/写真転載不可・なかむらみちお  30分ほど歩いてようやく辿り着くことが出来た。なんとそのホテルはメイン道路から少し入り込んだジャガイモ畑と麦畑の中にポツンと2、3軒の建物が固まって建っていた。まるで農家の家みたいだった。バス停からは少し遠いのは難なんだが、まぁ泊れればいい。
 玄関を入っても誰もいない。受付らしい窓口には張り紙がしてあった。読んでみると受付が開くのは4時からと書いてあるらしい。あと30分程もあるのでロビーで待つことにした。暑かったので少々汗を掻いてしまった。
 4時丁度に主人が来て窓口を開いてくれた。チェックインの後、朝食の時間を尋ねると、7時40分と言う。私は、それじゃオンダルスネス駅前8時30分発のガイランゲル行きのバスには間に合わないと言うと、主人は、バスはこのホテルの前に停まると言う。ウッソーと思ったが本当らしい。念の為にそのバスが停まるという場所を訊くと、カウンターから出て来て玄関の外に出て、このホテルの建物の外れの一角を指した。確かにそこには丸の中にPと書いた小さな立て札が立っている。矢張り本当らしい。
なぜか屋根の上に草が生えている/写真転載不可・なかむらみちお  部屋は別棟の二階だった。行ってみるとほど良い広さの部屋に二段ベッドがあった。窓からは残雪を頂いた山脈と麦畑の彼方に海が見え、レンガ色の家々が点在している。一階に降りて部屋をチェックすると台所の付いた調理室があった。あいにく持ってきたインスタントラーメンはオスロのホテルに置いてきたから、折角だが調理して食べる事が出来ない。
 買って来たワインの栓を抜くべく栓抜を探したが見当たらない。フロントへ行って主人に栓抜を貸してくれるように頼んでみる。主人は先ほどの調理室に案内してくれて螺旋状の栓抜を出してくれた。それでやってみたがコルクが固く入っていて抜けない。代わって主人も手を貸してくれたが矢張り駄目だった。主人は更に 引き出しの奥を探して案山子のような形をしたワインオプナーを出してきた。これなら大丈夫というような表情をしていた。これだと矢張り簡単に抜けてきた。
スペイン産ワインでひと息/写真転載不可・なかむらみちお  部屋に戻って早速傾ける。意外といける。いつも飲んでいるよりも少々甘みがある。スペイン産らしい。当てづっぽうの安酒にしては大当たりである。それを3分の1ほど呑み、オスロで昨日買ったパンを齧って今日の夕食とした。今日もまたレストランには行きそびれた。

     7月7日(木)晴 Åndalsnes 8:30-(バス)11:25 Geiranger 14:15 Geirangerfjord 15:45 Geiranger
 3時半にトイレに起きてみると窓から山の上に朝焼けが見えた。早速カメラを持ち出してホテルの前の国道付近へ行き、朝日に紅く照らされた回りの山々を撮る。
ホテル前の朝の風景/写真転載不可・なかむらみちお  ホテルの外に出てみると昨日ホテルの主人が言っていた場所に大型バスが一台停まっていた。これがガイランゲルへ行くバスか? 昨日ホテルの主人が言った事はいよいよ本当らしい。なにしろ言葉が分からないので何を訊いても半信半疑である。周りの樹木の葉陰からは小鳥のさえずりが声高らかに聴こえて来る。
 朝食時間には未だ早いがロビーで待つことにして7時半に部屋を出た。行ってみると大勢の客が既に食堂で朝食を食べていた。私もその中に入って食べ始めた。やがて先客は一斉に食事を終えて出て行った。どうやら団体さんらしい。
 彼らが出て行った後、ウエイトレスは別のお皿を並べ始めた。そう言えばハムやチーズ類がなかった。7時45分からと言うのはわれわれと先の団体さんとはメニューが違ったかららしい。
Gudbrands_juvetという滝/写真転載不可・なかむらみちお  やがて一人二人と新たな客が入って来て食事を始めた。その中にバスの車掌などが持つ料金徴収用の鞄を持った人もいた。その人がきっとガイランゲル行きのバスの乗務員なのだろう。そう言えばホテルの前には「Åndalsnes」行きというバスが停まっていた。
 食事を終えてホテルの前に出て見ると、矢張り先ほどの人がバスの運転手さんで、バスの脇に立っていた。「ガイランゲル?」と声を掛けると「イエス」と言う返事が返って来た。
 バスは先ずÅndalsnes駅前へ行き、そこで客を乗せた後、途中のホテルに一軒立ち寄り、更に私の泊っていたホテルの前にも再び停まってからガイランゲルへと向かった。
 途中、Gudbrands_juvetという大きな滝の前でバスを停めて写真を撮らせてくれた。その後も途中2、3ヶ所で休憩した後、最後にはバスごとフェリーに乗り対岸へ渡った。やがてガイランゲルフィヨルドが真下に見下ろせる展望台でもバスを停めて写真を撮らせてくれた。

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      Geiranger(ガイランゲル)
 ガイランゲルに着いてからバスの運転手にHellesyilt(ヘルシルト)行きのフェリー乗場を訊き、そこへ向かう。眼前に広がるのは、かつてヴァイキングたちが大海原に乗り出していった時と同じ絶景だ。乗船受付をしていた係員が、出航までにはあと1時間あると言うので、その付近を散歩してみる。観光案内所が見えたので行ってみる。そこでヘルシルトへフェリーで行くよりも、その近くまで行って帰って来る観光船があることが分かってそれに乗る事に決めた。その船の出航までは3時間程あるので岸壁のベンチに座り目の前に展開するフィヨルドを眺めながらワインを飲み、途中の休憩の時にコープで買ったきたパンを齧って昼食を済ませる。その内、今迄空を覆っていた雲がなくなり、快晴になってきた。
 観光船は14時15分に出発してフィヨルドへと向かった。晴れてきたので太陽が周りの山々や滝などを照らし出して美しい。

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      Geirangerfjord(ガイランゲルフィヨルド)
 ノルウェーの夏の観光の主役は「海のアルプス」と呼ばれるフィヨルド。このフィヨルドというのはノルウェーを代表する風景で、内陸の奥深く入り込んだ細長い入江のことである。山々に囲まれた両岸には切立った急斜面をもつ断崖がそそり立ち、満々と深い海水をたたえた、その独特の景観の美しさはたいへん素晴らしく、秘境の感がある。これは、大昔、ヨーロッパの大部分が氷河に覆われていた、いわゆる氷河時代の名残で、堆積した氷河が重圧に耐え切れずに、渓谷に押し流されていった時に河床を深く削り、氷河の後退とともに海水が入り込んで出来た急傾斜の峡湾だといわれている。その規模は、大きいもので、ソグネフィヨルドやハダンゲルフィヨルドのように、全長約180qにも及ぶものもあり、無数に散在する大小のフィヨルドが、ノルウェー海岸のあの複雑な特徴ある海岸線を形作っているわけである。
船は飛沫を上げた滝のすぐ近くまで近寄る/写真転載不可・なかむらみちお  途中、船は所々で岸の近くまで近寄り、見上げるほど高い崖から大量の水と降り注ぐように飛沫を上げた滝のすぐ近くまで近寄りながら進む。ダイナミックな体験である。ヘルシルト行きの大型フェリーボートでは多分こうまで滝の近くには近寄れないであろう。この中型の観光船に乗って正解だったと思う。
 船から見る周りの山々には未だまだら模様に残雪があり、太陽の光を浴びて輝いていた。船はヘルシルトの近くまで行ってUターン。15時45分に出発したガイランゲルの岸壁に帰って来た。 ノルウェーを代表する秘境/写真転載不可・なかむらみちお 下船してから観光案内所であらかじめ訊いておいたユニオンホテルへと坂道を登って行く。20分ほど歩いてようやく着いた。汗を掻いた。フロントへ行くと、予約を受けていないという。そんなはずはないとeメールのやり取りをしたプリントを示したら、この下の別のホテルだと言うので再び気を取り直してそちらへと来た坂道を下って行く。訪れた坂の下のホテルのフロントでも予約は受けていないと言う。一体これはどうなっているのだ! フロントの電話で先のユニオンホテルと掛け合って貰う。やがてユニオンホテルが車で迎えに来るという。ヤレヤレ。と、いうわけで、なんとかユニオンホテルにチェックイン。宿泊料も二泊分支払った。これでもぅ文句を言わせないぞ!
 部屋に入ってみると床は美しい木のフローリングで気持ちが良い。風呂が付いていた。早速お湯を入れて入る。久し振りの風呂だ。やっぱり日本人は風呂が一番良い。シャワーは嫌いだ。日本を出て以来の風呂で気持が良かった。風呂からあがって早速昨日飲み残しのワインで乾杯!
 この後、ホテルの前辺りを散歩した後、部屋に帰り、日記を書く。テレビがロンドンでテロがあったと伝えているようだ。9時には寝る事にする。

     7月8日(金)晴 Geiranger 9:30-11:00 Dalsnibba ll:30-12:15 Geiranger 13:00-13:15 展望台 15:20-15:35 Geiranger
 4時過ぎ起床。外はもう明るい。今日も快晴だ。ホテルを出て入江の見える場所を探す。手前に家の屋根が入ってしまい、どうしても良いポイントが見付からない。山に陽が射すのにはもう少し時間が掛りそうだ。少し寒いので一旦ホテルへ戻って待機する事にする。
ガイランゲルフィヨルドの入江/写真転載不可・なかむらみちお  ホテルの近くまで戻って来たら、左手に草原が広がっていた。その先からなんとなく見渡せるような気がして行ってみる。多少木はあるが、まあまあの場所だ。左右の山々の間に眼下にガイランゲルフィヨルドが見え、鏡のように静まり返った入江には昨日到着したのであろう、大型の豪華客船が三隻停泊している。清々しい新鮮な朝の空気を吸っていると、ノルウェーの作曲家グリーグの「ペール・ギュント」組曲第一番第一曲「朝」が聴こえて来た。グリーグは静かな暁に紅い太陽が昇る美しいモロッコの美しい朝の気分を描いたらしいが、私にはこの清々しい感じの曲はここのほうが合っているような気がする。
 グリ−グの人と音楽を愛していたチャイコフスキーは「彼の音楽は、ノルウェーのあの美しい風景を、そのまま反映しているかのように私には思われる」と述べている。グリーグは、このフィヨルドをこよなく愛した人であった。

 ※その昔、異様な竜の形をした船首をもつ、赤や緑の極彩色をほどこした小型の帆船に乗って凶暴な略奪をほしいままにし、ヨーロッパ本土の人々から恐れられていたヴァイキングは、ノルマン(北方人)とも呼ばれているように、中世初期のゲルマン民族大移動の際、スカンジナビア半島やデンマーク地方に住みついた種族の子孫である。これらの国々で、国内統一のきざしが見えはじめたとき、そのなかの不平分子は、徒党を組んでヨーロッパの沿岸一帯を荒しまわる海賊となったのである。
 この「ペール・ギュント」の舞台となったノルウェーも、そうしたヴァイキングの故郷の地のひとつである。ノルウェーは、その三分の一以上が北極圏にはいるという高緯度に位置するうえに、国土の大部分が山地で、そのうえ、海岸線はいたるところフィヨルドによってズタズタに切り刻まれている。だからこの国では、古くから航海術がたいへん発達し、人々は、富と冒険とを求めて海のかなたの未知の国々にあこがれていたのだった。
 戯曲「ペール・ギュント」は、そうしたノルウェー人の血のなかに、いまも脈々として流れている冒険好きな国民性を象徴的に描いた幻想的詩劇で、ノルウェーの生んだ最大の劇詩人へンリック・イプセンの名前を最初に有名にした作品である。
 イプセンは、この戯曲で、力や知恵にめぐまれながら、意志薄弱で、平気で人をだまし、最後までやり通すという気概にかけ、いたずらに宗教的幻想に溺れるといったノルウェーの国民性の短所を痛烈に諷刺したのであった。
 レコードはカラヤン盤(ベルリン・フイルハーモニー管弦楽団、グラモフォンMG-2384)が北欧の詩情というものが美しく、巧緻に描き出されている。
 「私のレコードライブラリー」(志鳥栄八郎著)葛、同通信社発行より。

 向こうの山の頂にも陽が射し始めてきた。しかし、先ほど見えていた左の山が霧に隠れてしまったので、それが晴れるまで待つことにする。
 かなり待ったが一向に霧は動こうとしない。太陽の紅味も少なくなってきた。諦めてホテルへ戻る事にする。ホテルの玄関先でもう一度振り返って山を見ると霧が晴れている。急いでまた先ほどのところに戻り一枚写す。
 ホテルに帰ってから最上階の展望サロンへ行ってみると、ここからはなかなか良い眺めだ。但し、窓が開かないようになっているが、一本だけ内緒でビスを外せば窓が開く。明朝晴れたらここから写すことにしよう。
 洗顔して7時過ぎホテルのレストランへ行って朝食を摂る。9時過ぎ、Dalsnibba(ダレスニッパ)へ行くバスを待つ為にホテルの前に出て待つ。バスは予定通り9時35分にホテルの前に停まった。九十九折の坂道を登って行く。やがて駐車場があって10分休憩。そこからはガイランゲルの入江が良く見える。
 バスは更に登って行く。よくもこんな急カーブを上手く回って行けるものだ。

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      Dalsnibba(ダレスニッパ)
周りの山並みが美しいダレスニッパ。遠くにガイランゲルの入江が見える/写真転載不可・なかむらみちお  11時頃ダレスニッパ(1476m)に到着。周りには未だかなり残雪がある。山並みが美しい。どこかスイスのクライン・マッターホルンからの眺めに似ている。遠くにガイランゲルの入江が見える。高所の割には思ったよりも寒くない。陽が照っているせいか…。
 11時30分、ダレスニッパ出発。12時15分にガイランゲルに着いた。この後入江を眺めてボーッとしているのも勿体無いので、ここに来る時に最初にガイランゲルフィヨルドを見下ろした展望台に行くことにする。来た時は曇りだったので撮り直したい。
 歩いて行くのにはかなり遠いのでバスを調べてみた。すると、13時丁度に出発するバスがそこを通り掛かるのでそれで行くことにした。先ずはそれまで海辺の近くのベンチで昼食とする。
ガイランゲルフィヨルドの入江/写真転載不可・なかむらみちお  バスは定刻通り1時に出発して15分程でMell展望台に着いた。早速撮影。折り良く大型豪華客船が来たので上手く絵になった。それにしても暑い。ここは何の施設もなく、直射日光をまともに受けるのでとても長時間の待機には耐えられない。木陰を求めて少し高い方へ行く小道を辿って上って行ってみた。するとそこからは下の展望台よりも見晴らしが良い。連なる山並みの間には氷河に削られた大きなフィヨルドが展開する。ここからこの雄大なフィヨルドの風景を見ていると地球の大きさと偉大さを感じ、畏怖の念にかられる。この世の風景とは思えない大自然のスケールの大きさに改めて驚かされ、暫し現実からの飛躍の世界に浸るのである。多分この場所で写した中ではここでの駒が決め手になるだろう。
 帰りのバスは15時20分に来ると言うので3時少し前に下に降りて待つ。訊いていた時間を過ぎていくら待ってもバスは来ない。3時40分になってようやく来た。乗客は一人も乗っていない。貸し切り同様でガイランゲルの港に着いた。観光案内所の中のお土産売場で絵葉書と切手を買ってホテルへと向かう。暑い!登りの坂道はしんどい。汗を掻いた。ホテルに帰ってから早速ひと風呂浴び、残りのワインを飲んで一息ついた。テレビを入れてみるとロンドンでテロがあったらしい。帰りのヒースロー空港での乗り継ぎは大丈夫だろうか。
 家宛に葉書を書いてフロントへ出しに行く。ついでに明朝のオンダルスネス行きのバスの時間を確認すると、何とこのホテルの前から出発すると言う。本当だろうか。半信半疑ながら本当なら有難い。
 この後日記を書いた後寝る事にする。少し寒くなってきたのでベッドに潜り込んで本を読んでいる内にいつの間にか寝てしまった。

     7月9日(土)薄曇 Geiranger 7:30(7:20)-9:40 Sjeholt lO:00-11:20(バス) Åndalsnes 17:22-18:43 Dombas 18:49-22:42 0slo
 フロントへ行ってチェックアウトすると、ボックス弁当を持たせてくれた。昨夜、この時間にチェックアウトして早いバスで出発すると言ったので朝食を摂る時間がないと言う事でホテルが用意してくれたものだ。
 7時20分にバスが来た。運転手に「オンダルスネス?」と尋ねると「ノー」と言う。一体どうなっているんだ!運転手がバスの時刻表を出して私に示した。私もオンダルスネスの観光案内所で貰った時刻表のプリントを示した。すると運転手はこのバスに乗れと言う。私は半信半疑でとにかくバスに乗る。
 腰の落ち付かない不安な気持でバスの客となる。バスはガイランゲルから一路一昨日来た道を走る。やがてフェリー乗場に着くとバスから降ろされた。フェリーに乗れと言う。一体どうなっているのだ。
フェリーが対岸に着くとバスが待っていた/写真転載不可・なかむらみちお  フェリーが対岸に着くとバスが待っていた。そのバスの運転手に時刻表を書いたプリントを渡すと軽く頷いた。バスは来た時とは全く違う田舎道をひた走る。周りには霧が立ち込め、「五里霧中」と言うところだ。私の心も五里霧中。不安でホテルで用意してくれた朝食も喉に通らず、じっと手に持ったまま時の過ぎ行くのを待つ。
 やがてまたフェリー乗場に着いた。ここでまたバスから降ろされてフェリーに乗り込む。対岸へ着いたらまたバスが待っていた。再びそのバスに乗る。バスは相変わらず見知らぬ田舎道をひたすら走る。私の心は不安でいっぱいだ。
 かなり走ったところのバス中継所のようなところでまたバスから降ろされた。ここで10時丁度発のオンダルスネス行きのバスに乗れという。どうやらここでようやく先が見えてきたような気がした。そこは過日オンダルスネスの案内所で貰ったバスの時刻表に書いてあるSjeholtと言うところだった。
 やがてようやく見覚えのあるオンダルスネスに着いてホッとした。ここからの列車への接続が悪く、長い待ち会い時間がある。早速先日ここに来た時に行ったことのある駅に近いフィヨルドの湾岸の岸辺の公園でガイランゲルのホテルが用意してくれたランチボックスを開いて昼食を摂る。昼食の後、行き掛けに寄ってワインを買ったワイン店でまた一本赤ワインを買った。
観光SLが発車した/写真転載不可・なかむらみちお  駅の待合室で時間を潰していると、駅の構内の方がなにやら騒がしくなった。見るとSLが今、まさに発車しようとしている。今日は土曜日なので特別のイベントがあるのだろう。私も早速カメラを持ち出してSLの発車風景を写した。
 長いながい時間を駅待合室で過ごした後、列車はようやく17時20分オンダルスネスの駅を出発してドンボスへと向かった。ドンボスで乗換えてオスロ行きに乗った列車が、途中、リレハンメルで故障のためバス代行となってしまった。理由はよく分らないが電気系統の故障らしい。
 駅を降りると代行バスが並んでいた。その一台に乗りオスロへと向かう。オスロに着いたのは深夜12時に近かった。オスロの駅に着いてからホテルへ向かう。ホテルでチェックインしてから預けて置いた荷物を受け取り、明日早朝フロムへ向かう準備をする。またコンパクトデジカメの電池が切れたので明日に備えて充電したのだが、これがまた1時間40分も掛り、寝たのは午前2時頃だった。

     7月10日(日)晴れのち小雨、一時曇り Oslo 8:11-12:53 Myrdal 13:27-14:25 Flam 15:00 Sognefjord(観光船)16:50 Gudvangen 18:00-18:30 Flam
オスロからベルゲ  寝不足でふらふらする。オスロ8時11分の列車でミュルダールへと向かう。私の前の席にはソウルに住んでいるという韓国人夫妻が座った。途中、その女性がカルチャースクールで2ヶ月間学んだという日本語でたどたどしく話し掛けてきた。やがて紙を出して○○をどう言いますかとその紙に書いて尋ねてくる。昔、モロッコのティネリールと言う街のホテルのオーナーに暇に任せて日本語を教えた事があったが、今回もまた同じように日本語の先生になってしまった。

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      Myrdal(ミュルダール)
車窓からはノルウェーの自然の中でも最も野性的でスケールのある光景が楽しめる/写真転載不可・なかむらみちお  ミュルダール(標高866m)には予定よりも5分ほど遅く着いた。途中で列車の窓に小さな雨が付いてきた。かなり高い所を走っているらしく周りには残雪が見えている。駅に降りると雨が降ってきた。一緒に降りた乗客たちは一斉に鞄から雨具を取り出して着だした。
 ミュルダールからのフロム山岳鉄道には向い側に初老の日本人夫妻が座った。フロム鉄道はベルゲン鉄道の中の山岳駅ミュルダールとアウランド・フィヨルドの湾奥にあるフロムを結び、列車は急な斜面の渓谷の縁を下って行くので、雄大な山岳風景を楽しめる。行程の8割までが1mに対して高低差18pあり、通常の軌道を走る鉄道では、フロム鉄道より勾配のきついものは世界でも他にはない。まさに目を見張る山岳鉄道の旅が楽しめる。
妖精が滝の岩場で華麗に舞う/写真転載不可・なかむらみちお  角張ったレトロ調の濃い緑色の列車は急勾配を右、左に急カーブを切りながらおよそ20q下のフロムへとおよそ1時間かけてゆっくりと下って行く。
 ミュルダールを出発して15分ほど行った途中の巨大な滝Kjosfossen(ショス滝又はヒョース滝)でおよそ10分弱位停車。プラットホームに降りると大きな滝が目の前にはだかり、水飛沫が降り掛かってマイナスイオンを感じる。客の多くがカメラを手に下車して滝の写真を撮っている。すると滝から突然女性の妙なる楽の音が流れ、白い衣を着た女性の「妖精」が滝の中間地点の岩場に舞い降りて華麗に舞っていた。なんとも不思議な雰囲気の空間であった。出発前に車掌さんの合図があり、全員乗車したのを確認してから出発するので置いて行かれる心配はない。

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      Flam(フロム)
 フロムに着いて近くの観光案内所へ行き、今日泊まるホテルの場所とこれからグドヴァンゲンへ行って今日中に再びここへ帰って来られるかどうかを訊いてみた。グドヴァンゲンからバスを利用すれば帰って来られるということだった。
洒落たデザインのホテル/写真転載不可・なかむらみちお  今日泊まるFretheim_Hotelはすぐ目の前に在ってここからも見えている。なかなか洒落たデザインのホテルだ。グドヴァンゲン行きのフェリーは15:00発なので未だ少々時間が在り、ホテルに行って帰って来られる。取り敢えずホテルに荷物を置くことにしてホテルを目指したが、方角を間違えて右往左往してしまった。ようやくホテルに着いてフロントに荷物を預けた後、再びフェリー乗場に帰ってきた。出航には未だ5分間あるので、近くの観光案内所に行き、再度グドヴァンゲンからバスで帰って来られる事を再確認して離岸1分前のフェリーに飛び乗った。フェリーには例のミュルダールから一緒になった日本人夫妻やら、オスロからミュルダール間で一緒だった韓国人夫妻も乗っていた。
 フェリーは15:00丁度に出航、曇りながら周りの山間に薄くたなびく霞を見ながら深さ1308mもあるSognefjord(ソグネフィヨルド)を一路グドヴァンゲンへと向かう。

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      Gudvangen(グドヴァンゲン)
グドヴァンゲン/写真転載不可・なかむらみちお  グドヴァンゲンで下船してからフロム行きのバス停留所を尋ねると、5分ほど先に歩いた国道にあると言う。田舎道ほどの道を一路バス停へ向う。すると突き当たりのT字路で幹線に出た。しかしバス停留所らしき所が見当たらない。左手の前方に建物が在り、どうやらガソリンスタンドらしい。またバスらしき物も一台見える。取り敢えず橋を渡って幹線道路沿いにそちらへと歩いて行く。
 着いてみるとそこはスーパーマーケットだった。レジの若者にフロム行きのバス停を尋ねると200m先だと言う。何とそこは今通ってきたT字路の付近である。急いでそこまで戻るとなるほどバス停があった。しかし、どちらの方向のバス停がフロム行きなのか分からない。上り下りでバス停が50m程離れて設置されている。通り掛かりのバスを止めて尋ねた結果、ようやく目的のフロム行きのバス停が分かった。そこでおよそ1時間近く待った。こんなことなら先のスーパーで何か買えば良かったが心にそんな余裕はなかった。
 バスは走り出してすぐいきなりトンネルに入った。長いトンネルだ。トンネルを抜けたところがフロムだった。フロムに着いて観光案内所に隣接したスーパーマーケットに行ってみると6時で閉店になっていた。
 ホテルでチェックインを済ませ、部屋に入ってヤレヤレ。この付近にホテルはここの他に見当たらない。値段が高いだけあって風呂もある(一泊400NOK)。レストランの食事の値段は高いので今夜の食事はオンダルスネスで買ってきたワインとオスロで買って来たパンで済ませた。

     7月11日(月)曇 Flam 9:00-11:00 Gudvangen ll:40-12:50 Voss 14:35-15:52 Bergen
湾に面した眺めの良いレストラン/写真転載不可・なかむらみちお  フロムの朝は曇だった。5時頃起きてホテルの前のフィヨルドの湾岸に出てみる。湾の沖遥かな空がほのかに紅い。湾内を朝霧が覆って動かない。無風状態だ。静寂そのもの。湾岸沿いの道を東へと歩いてみる。曲りくねった道をいくつか過ぎると小群落が見え、船着場の風景が気に入ったので2、3枚写す。
 6時、突然静寂を破って小型船が一隻湾を出て沖へと向かった。その船が点景となって絵になったので夢中で数枚写す。
 ホテルに帰って荷物を整え、食堂へ行って朝食を食べる。ここの食堂は湾に面したガラス張りなので眺めが良い。食事は例のヴァイキング形式で内容は他と余り変わらない。

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      Sognefjord(ソグネフィヨルド)
2000m級の山々が迫るソグネフィヨルド/写真転載不可・なかむらみちお  フロムを9時出発のフェリーに乗る。客は未だ早朝なのでまばらだ。フェリーは昨日と同じコースでソグネフィヨルドをグドヴァンゲンへと向かうが、昨日と違って途中は一ヶ所も立ち寄らない。行き交う船も1、2隻しかなかったので絵にしづらい。グドヴァンゲンの近くになったら青空も見えてきた。
 無事グドヴァンゲンに到着。この頃になったら快晴の青空となった。ヴォス行きのバスに乗ろうとしたら、昨日フロムからグドヴァンゲン行きのフェリーで一緒だった日本人のご夫婦に声を掛けられた。天気が良くなったので再度フロムへ行き、再挑戦するとのことであった。
高い崖の上に農家が見える/写真転載不可・なかむらみちお  バスの中で日本人の女性3人組と一緒になり、声を掛けられた。一人はおばさん、あとの二人は若い女性だった。バスはもの凄く急な九十九折の坂を登り始めた。途中で大きな滝があったがここに来てもう滝は珍しくない。むしろ見飽きた。滝はバスの左右に四回現れる。
 やがてStalheim(スタルハイム)のホテルで10分間停車。ここのホテルの裏から見たフロムの谷の全景は雄大である。何枚か写真を撮り、乗り遅れないように大急ぎでバスへ戻る。この後バスはなだらかな平地をヴォスへと向かって走る。
 Voss(ヴォス)は少し大きな街で湖に面していた。美しそうなので湖畔まで行って見たかったが、荷物があるので諦めて駅の待合室でベルゲン行きの列車が来るのを待つことにする。

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      Bergen(ベルゲン)
 ベルゲンの街はハンザ同盟の重要地点として発展したノルウェー第二の街と言うが、駅を降り立って見てあまり大きな街のようには感じなかった。むしろレトロ調で質素な感じを受けた。フィヨルド地方の町らしく、海と山に挟まれた独特の景観は圧巻だ。一度地図を見ただけでホテルの所在を勘に頼って駅を後にした。ホテルは駅からおよそ300mのはずである。この街の道路は拳位の石を敷き詰めており、キャスター付きの荷物を引く手が重たい。
 ようやく見当を付けたそれらしい辺りまで辿り着いた。そこで誰かに尋ねてみようと辺りを見回すと、丁度良い具合にポストに郵便物を集めに来た女性を見掛けたのでその人に尋ねてみた。すると10m程後戻りした横道にあると教えてくれた。行ってみるとホテルはすぐに見付かった。
 建物の入口から中に入って行くと恐ろしく古いエレベーターがあった。先ず、ボタンを押すと籠が下りて来た。鉄製の格子戸を手動で開いて籠の中に入ると何とそこには木製の椅子があった。再び扉を閉じ、ボタンを押すとややしばらく間を置いて動き出した。
 四階でエレベーターを降りると受付が在り、若い女性が応対してくれた。普通だとここで宿帳を書かされて支払いを済ませてからキーを渡されるのだが、いきなりキーを渡された。部屋には二段ベッドと机に椅子、ロッカーだけで洗面所は無い。廊下を挟んだ反対側にトイレと洗面所が在り、又、あちらこちらにやたらにシャワー室とトイレがある。
食器や鍋類が全部揃っており、冷蔵庫も在る/写真転載不可・なかむらみちお  部屋を出てフロントの方へ戻る突き当たりに食堂が在り、その奥に台所が在った。食器や鍋類が全部揃っており、冷蔵庫も在る。明日はここでこの旅行で初めて持って来たインスタントラーメンを作って食べよう。食堂の窓から外を覗いて見たところ、驚くことに窓の近くにまで山が迫り、その山肌に木造の白い家が張り付くように建っていた。
 ベルゲンは人口約23万人の、ノルウェー第二の規模を持つ都市である。西海岸の文化・教育の中心地。18世紀までは、ハンザ同盟と重要な基地として栄えた国際貿易港。名産である干しダラの輸出により急速に発展し、17世紀のハンザ同盟の終結に至るまでの400年に渡って隆盛を誇った。港の脇にあるブリッゲンは、当時の姿をありのままに留める貴重な建物として世界遺産に登録されている。

 ※ハンザ同盟…(Hansa;Hanseドイツ「商人仲間」の意)13世紀から近世初期にかけて、海上交通の安全保障、共同防護、商権拡張などを目的として、北ドイツ、特に北海・バルト海沿岸のドイツ人諸都市が結成した有力な都市同盟。リューベックが盟主。16世紀以降次第に衰えた。(広辞苑より)。

山肌に白い家が張り付くように建っている/写真転載不可・なかむらみちお  周辺の地形は西ノルウェーのフィヨルド地方特有のもので、入り組んだ海岸線のすぐそばまで山が迫り、わずかな平地に木造の家が密集している。そのためベルゲンの街は、山肌に白い家が張り付くように建っている。町は港周辺と駅周辺という二つのエリアに分類できる。今でも町の中心は港である。港を取り囲むようにしてホテルやシーフードレストランが林立している。ブリッゲンなど主な見所の多くも港沿いに集中している。
 ベルゲンの南8qにはグリーグの家がある。Edvard_Hagerup_Grieg(エドワルド・グリ−グ)は、1843年6月15日にベルゲンで生まれた。この町に深い愛着を持っていたグリーグは、42歳のときベルゲン郊外の入江を見おろす小高い丘の上に白いビクトリア風の永住の家を建て、"トロルドハウゲン(妖精の丘)荘"と名付け22年間住んだ。
三角屋根の美しい建物が並ぶブリッゲン地区/写真転載不可・なかむらみちお  外はピーカンで未だ4時と早いので早速Bryggen(ブリッゲン)地区の古い建物群を撮影に出掛ける。魚市場では名物の朝市が毎日開かれ、水揚げされたばかりの魚を買い歩く主婦などで賑わう。魚の他には花や果物、野菜、みやげ物なども売られているが、旅行者にはその場で食べられるサーモンや海老のサンドイッチが新鮮で美味しいので人気がある。行ってみると、魚市場はもう閉じはじめていたので明朝また来ることにする。
 ブリッゲンは港に面して壁のように木造家屋が並ぶ。14〜17世紀のハンザ同盟時代を忍ばせる切妻屋根の美しい木造家屋が色とりどりに建ち並んでいる。 中世にタイムスリップしてしまったような気持ちになる/写真転載不可・なかむらみちお 中世にタイムスリップしてしまったような気持ちになる古めかしい建物である。北半分が1955年の火災で焼失し、建物が密集しているために何度も火災にあっているが、その度に同じように復元、修復されてきた。港に面した側はほとんど土産物屋やレストランになっている。奥行きのある家屋は家と家との隙間を入って行くと迷路のようになっており、隠れたショップや手工業の工房もあるので、探検してみると面白い。
 帰りにホテルの近くのスーパーに寄り、ハムとチーズを買ってきて宿でオンダルスネスで買ってきたワインで一杯やり、溜まった靴下を洗濯してから早めに寝た。

     7月12日(火)曇、後霧雨、時々晴れ Bergen
 今日は良く寝た。4時頃に一度トイレに起きたのだが、外を見ると曇っていたのでまた寝なおした。と、言うわけで7時起床。顔を洗って昨日買っておいたパンで朝食を終える。このホテルは特別に頼まないと食事は出ない。その代りホテル代も安く、鍋や食器の揃った台所が共用でいつでも使える。つまり自炊システムだ。
 空が泣いている。窓ガラスに細かい雨雫が付いてきた。ここベルゲンはメキシコ湾流の影響を受けた湿った空気が山にぶつかって雨を降らせるため、1年を通じて降水量が多い。1年の内の三分の二近くは雨ということなので降っても不思議ではない。しかし、昨日はあれほど雲一つないピーカンの照りで暑かったのに、今日の変わりようは信じられない。昨日の内にブリッゲン地区の古い建物群が建ち並ぶ様子が撮れて良かった。
 折り畳み傘と念の為ビニールの雨合羽を持ってホテルを出る。先ずは魚市場の様子を撮っておこう。街の通りに出ても昨日はあんなに賑わっていたのに人通りが少ない。時折傘を差した人がチラホラと通る。
祭の露天市場のようにテントを掛けた屋台/写真転載不可・なかむらみちお 売り子さんも手持ち無沙汰/写真転載不可・なかむらみちお  魚市場も閑散としている。未だ時間的に早いようだ。祭の露天市場のようにテントを掛けた屋台が港のどん詰まりの近くに並んでいた。そのひとつに日本人らしい3人連れの女性客を見掛けた。矢張り昨日フロムからフェリーとバスを乗り継いで来た時一緒だった人達だ。ヴォスで別れて以来である。一緒になって魚市場の屋台の前に立って品定めをする。イクラを一口摘んでみた。日本の物よりも小粒でプチプチする。彼女らとは別れてまた一人で屋台の通りをぶらつきながら写真を撮る。この頃になったら雨も上がったようだ。が、曇っているので一応押さえとして何枚か撮影する。
 ひと通り撮り終えた後、一旦ホテルに帰り、ホテルの台所で今回初めて持ってきたインスタントラーメンを作って食べた。食材は帰り道にホテルの近くのストアでハムと玉葱、それに魚市場の近くのパン屋さんでパンを買ってきた。
 昼食の後、デジカメを持って駅の隣のストアの中にあるワインショップへと向かう。安いワインは矢張りオンダルスネスで買ったスペイン産の「AMIGO」であった。これを買ってホテルへ帰る。ホテルへ帰って来たら陽が射してきたので再び魚市場とブリッゲンを写しに出かけた。
 3時過ぎにホテルに帰り、日記を書き始める。夕食もインスタントラーメンと買ってきたパンにしよう。夕方この旅行の最後の便りを妻宛に書いた。6時にインスタントラーメンを持って台所へ行く。先客が飲み残して置いて行ってくれたウオッカがあった。コップにいっぱい戴いた。美味かった。

     7月13日(水)雨のち曇、時々晴れ Bergen 12:00-16:00 Stavanger
ベルゲンからスタヴァンゲル  今日は旅客船でスタヴァンゲルへ向かう。プラン作成の段階では列車からバス、又オールバス、それと船などと何度も迷った末、ベルゲンから途中のKristiansandまでバスで行き、そこからスタヴァンゲルまで列車で行くことにしていたが、ベルゲンの観光案内所へ行って相談したところ、旅客船で行った方がベターだということだったので船に決めた。便利さを言ったものか観光的に良いと言ったものか言葉が分らないから訊かなかったので理由は分からない。料金はシニアのスカンレールパスで320NOK。
 夜半から雨が降りだした。船は12時出航なのでその前にもう一度魚市場付近をスナップして見ようと思ったが、雨降りでは一寸考えてしまう。今朝も台所を利用して日本から持ってきたインスタントラーメンを作って食べる事にする。残りはあと2個だ。この先この残りの2個をどこで消化することになるだろうか。
スタヴァンゲル行きの旅客船/写真転載不可・なかむらみちお  朝食を済ませた後、9時頃ホテルを出て魚市場に行ってみる。人出は未だまばらだが店は開いていた。中には商品を陳列中の店もある。あまり写真になるような場面はない。ブリッゲン地区の方へも行ってみたがつまらない。それでも2、3枚写してみた。再び魚市場を冷やかして歩く。ある店では日本人の女性も働いており、日本人に日本語で客引きをやっていた。留学生で、アルバイトで働いていると言う。
 やることもなくホテルに帰り、11時まで本を読む。11時にホテルを出て港の船乗場へと向かう。船は定時に出発したが、これと言って見るような景色ではなかった。

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      Stavanger(スタヴァンゲル)
 定時より5分ほど遅れてスタヴァンゲルに無事到着。タクシーを拾ってホテルへと向かう。ホテルでチェックインを済ませた後、明日のリーセフィヨルド観光船の乗場と出発時間を確認するために観光案内所へと向かう。その途中、ソグネフィヨルドでお会いした夫婦とばったりと会った。私よりも1便前の9時ベルゲン発のフェリーで来たとのこと。それにしても奇遇だ。この後、明日はプレーケストール・ヒュッテに一泊してからプレーケストーレンを見てスウェーデンのストックホルムへ向かうとのことであった。
 スタヴァンゲルはノルウェー第4の都市。街の中心部には17世紀の古い家々が隙間なく並び、独特の景観をかもし出している。ガイドブックの地図を頼りに観光案内所を探したが中々見付からない。土地の人に尋ねてもまちまちのことを言う。かなり探してからようやく見付けることが出来た。ガイドブックの地図が古いため、移転した後訂正されていなかったようだ。案内所で尋ねると観光船のチケットは明日9時に案内所が開いてからここで売るという。
 一応目安が着いたのでホテルへ戻り、ベルゲンで買ってきたワインで一杯やる。その後シャワーを浴び、日記を書いて早めだが9時前に寝る。

     7月14日(木)曇時々小雨 Stavanger lO:30 Lysefjordクルーズ(観光船)14:00 Stavanger
リーセフィヨルドの観光船/写真転載不可・なかむらみちお  朝食の後、10時30分発のリーセフィヨルド観光船の出発時間までには間があるので、部屋で日本から持ってきた本を読んで時間待ちをした。
 少し早めだったが9時半頃ホテルを出て港付近を被写体を求めて物色したがこれと言って写欲の沸くような風景はなかった。観光船は接岸していたが未だ乗客は乗せていない。その近くのベンチで乗船の始まるのを待つことにする。
 10時30分、船は定刻通り岸壁を離れて一路郊外へと向かう。出発する頃から小さな雨粒がしとしとと降ってきた。

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      Lysefjord(リーセフィヨルド)
 小1時間ほど走ったあたりから左舷にそそり立つ巨大な岸壁が見えてきた。船はその岸壁のすぐ近くまで近付いて航行する。客へのサービスだ。雨は少し強くなってきた。レンズにも雨粒が付く。雨合羽を必要とするほどの降りではないが、太陽の光がないと風景も輝かない。
大きな岩と岩の間に丸い岩が落ち損なって挟まっている/写真転載不可・なかむらみちお  やがて大きな岩と岩の間に丸い岩が落ち損なって挟まっているところに来た。船は岸壁に触れるほどに近付く。次は山羊がいる岩場に近付き、船員が持ってきた青草を与えていた。これも客寄せのひとつとして船会社が羊を餌で近づけているのだろう。内陸深く進むにつれ、両側から迫る岩山で水路はどんどん狭まっていった。外は相変わらず雨混じりに風が吹いている。にもかかわらず、雨合羽の若者グループは船の舳先に陣取り、移り変わる周囲の風景にじっと目を凝らしている。彼らの自然との触れ合い方は徹底していた。
このコースのハイライトプレーケストーレン/写真転載不可・なかむらみちお  次ぎはいよいよこのコースのハイライトであるPreikestolen(プレーケストーレン=教会の説教壇)に近付いた。狭い海峡をゆっくりと分け入って行くと、水面からいきなり600mの高さで突き出す岩が見えた。このナイフで切り取ったように垂直な壁が、リーセフィヨルドを象徴するプレーケストーレンだ。船はしばらくそこで停泊して乗客にサービスする。パンフレットの写真で見た通りの状況だ。雨模様のため客室にいた観光客も、甲板に出てきて、一斉にカメラを向けた。
 そこで船はUターンして一路出航した港へと引き返す。14時丁度に出発した岸壁に到着して下船。この頃になると雨も止んだ。一旦ホテルに帰って荷物を置いてから明日乗車する列車の駅までの道筋をロケハンすることにした。
 ホテルを出る時に一応地図を頭に入れて置いたはずだが駅が見当たらない。どうやら右の方へ角度を切り過ぎているようだ。通り掛かりの人に尋ねてみると矢張り行き過ぎていた。
 公園の池から右に切らず池から離れないように行けば良かったのだ。ホームまでの道路の具合を念入りに調べ、ホテルへと引き返す。その途中も道路状況をチェックして明日の朝どの道筋を通って荷物を曳いて来たら良いかを見極める。途中のスーパーに寄って今晩の夕食の食材を買ってホテルへ帰る。
 ホテルに帰ってから資料や領収書などを整理し、日記を書き終えたら5時過ぎになっていた。これからワインを傾けながら明日の準備をする。明朝6時発の列車でオスロへ向かうので朝が早い。起きれるとは思うが、念の為に今夜は目覚まし時計をセットして寝ることにする。

     7月15日(金)雨 Stavanger O6:05-13:56 0slo
 夜中に雨音で目を醒ます。そーっとカーテンの隙間から窓外を見ると夜に成り切れない北欧の夏の夜のほの暗い明りの中でトタン屋根が濡れて光っていた。雨だ。困ったな。駅までどうやって行こうか。雨具は100円ショップで買ったビニールの合羽と小型の折り畳み傘を持ってきている。鞄類にもビニールのゴミ袋を被せなければなるまい。面倒くさい。ひたすら雨が止んでくれることを願いつつまたベッドに潜り込んだ。
 ここの雨はメキシコ湾流の影響を受けた湿った空気が山にぶつかって雨を降らせるため、一年を通して降水量が多いと言う。一年の内、三分の二近くは雨と思って間違いないそうだ。その為か男らしくザーと降って止むのではなく、女々しくしとしとと降り、いつの間にか止みかけたなと思うとまた思い出したように降る。どうもスカッとしない。昔、若かりし頃こういう女に泣かれて困ったことを思い出す。
 ベッドに入ってみたが、早朝出発のため寝過ごしては大変と緊張しているのか眠れない。面倒くさいので4時に起きてデジカメの使用説明書を開いて使い方を確認する。
 そうこうしている内に予定の4時半になったので顔を洗い、5時にフロントへ行く。鍵を返して朝食の件を訊ねると、食堂に並べてあるから適当に持って行けと言ってビニールの袋を2枚渡してくれた。水ものは駄目だがハムと野菜、それにパンを自分で切ってナプキンに包んで持つ。
 ホテルの外に出てみると、雨はまだ止んでおらず、少々小降りにはなったが相変わらずしとしとと降っている。しかし、駅まで多少濡れてもなんとか雨具を使わずに行けそうだ。雨具を出すほどでもなく、それに面倒くさいので多少濡れても良いからと駅へ向かって歩き出す。
 港沿いの広い通りには朝が早いためか全く車が通っておらず、車道を荷物を曳いて悠々と歩く。駅に着いたがドアが開いていない。駅の裏を回ってホームへと入る。女の子一人だけがポツンとドアの脇に佇んでいた。どこか映画のワンシーンを見ているようでなかなかいい雰囲気だ。電光掲示板を確認すると3番ホームから出発することになっており、既に列車が入っているが人影はない。やがて男が一人来て列車のドアを開けて中に入り、列車のエンジンを掛けて車輌の点検を始めた。
 発車の20分前にようやく列車に乗り込むことが出来た。指定席は後ろ向きだ。後ろ向きに走るなんて感じが悪いが仕方がない。この国の列車の座席は客車の前半と後半が半分ずつ列車の進行方向に対してそれぞれ前と後ろ向きになっている。
スタヴァンゲルからオスロ  列車は定刻にスタヴァンゲルの駅を滑るように出発し、雲が低く垂れ込めて薄暗い中で一路オスロへと向かった。朝が早いのと出発したばかりなので乗客は少ない。私の隣の席も空いている。ガラス窓には雨粒が斜めに流れ落ちる。車窓からは酪農家の大きな牧場に多くの牛が放牧されているのが見える。
 列車はKristiansandに着いた。この町はこの地方の中心となる都市らしく大きな町のようである。ノルウェーで5番目に大きいそうだ。ここで多数の乗客が乗り込み、私の隣の席にも中年の女性が座った。ここから列車は今迄と逆に反対向きに走り出した。つまり私の席からは前方に向かって走り始め、ここでようやくまともになったような気がした。
 この頃より雨が止んできた。ソグネフィヨルドで一緒になり、又、一昨日スタヴァンゲルで偶然にも出合った横浜のご夫妻は昨日プレーケストール・ヒュッテに一泊して、今日はリーセフィヨルド最大のポイントであるプレーケストーレンに行っている筈だが、天気はどうであっただろうか。
 列車はNelaugを過ぎてVogarshelに停まった。ここには人家らしいものは全くと言っていいほど見当たらなかったが、大きなジャンプ台が見える。そう言えばLillehammer(リレハンメル)を初め、あちらこちらに大きなジャンプ台を見掛ける。さすがノルウェー。ノルウェーのジャンプの選手が強いのもよく分かる。
 次のGjerstadは右側に大きな湖があり、湖畔には赤い瓦屋根の人家が木陰に散見されて北欧らしい美しい風景を醸し出していた。次のNeslandsvatnは11時丁度に通過、Boを過ぎた辺りからは畑一面にじゃが芋の白い花が咲いていた。しばらく走った後のKongsbergも少し大きな町だった。次のDrammenは更に大きかった。ここを過ぎると畑一面に麦の穂が青々と波打っていて美しい。
Hnefossで降ろされた/写真転載不可・なかむらみちお  オスロまで後30分というHnefossに着いたら、大勢の乗客が降りだした。ここは線路の分起点にもなるし、大きな町だから大勢の客が降りるものと思っていた。ところが、ほとんどの乗客が降り、私だけが取り残されそうになった。これは変だ。すると乗客の一人の婦人が「チェンジ、ツーバス」と教えてくれた。どうやら列車はここまでで又バスに乗り変えてオスロへ向かうらしい。何てっこった。ガイランゲルからオスロへ向かったときも少し前のリレハンメルでバスに乗り換えさせられた。あの時とは違って未だ真っ昼間だから良かったものの、これがこの間のように夜遅くでは焦ってしまう。一体これはどういうこっちゃ。理由は全く分からない。
 列車を降りると駅前にバスが数台待機しており、次々と客を乗せた。臨時の事とは言え、前回もそうだが代行バスの手配の手際が良すぎるように思う。間もなくバスは高速道路を一路オスロへと向かって走り出した。この頃から又雨が強く降り出した。この分ではオスロ駅からホテルまでの間に濡れてしまいそうなので雨具を出さなければならないかも知れない。面倒くさい話だ。なんとか着くまでに止んで欲しい。

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      Oslo(オスロ)
 バスがオスロ駅に近くなる頃、雨は小降りになった。荷物を受け取り、歩き出すとうまい具合に雨は止んだ。ホテルは先日泊っているので土地勘はある。ホテルでチェックインした段階でまだ3時前だ。夜までには未だ時間があるので明日予定していたヴァイキング船博物館か、国立美術館でも見に行こうかとも思ったが、明日充分見る時間があるので今日は止めて差し当たりオスロ駅構内の店に行って今晩のワインと夕食の食材を買いに行く事にする。
 雨具を持たないでホテルを出たが、又少し降ってきた。急いで駅へ駆け込む。ノルウェーでは普通の食料品店とかスーパーではワインは売っていない。ワインを売っているのは市内に数少ないワイン販売専門店だけである。だがその専門店を探すのには苦労する。構内のワイン販売専門店で赤ワインを一本買い、スーパーで食材を買ってホテルへ戻ってくる。
 未だ時間があるので観光に行けないこともないが、明日いっぱい予定していることだし、雨も降っているので無理することはない。それにしても5日にオスロに着いた時に晴れている内にヴィーゲラン公園に行ってきて良かった。
 ホテルに戻ってから靴下を洗濯したり資料を整理したりしたあと、日記を書く。昨夜は少し寝不足気味なので今夜は早めに寝てゆっくりしよう。夕方には雨が上った。明日は天気が良くなりそうだ。

     7月16日(土)曇時々雨 Oslo
 今日は曇りだが東の空は明るい。雨は降らないだろう。9時過ぎにホテルを出て駅前のバス停留所へ向かう。交通局の事務所らしい所があったのでそこでバス券(20Kr)を一枚買う。ヴァイキング船博物館行きの停留所を尋ねると、この向かいの向こう側だと教えてくれた。
 間もなく路線番号30番のバスが来た。女の運転手さんだ。ヴァイキング船博物館に着いたら教えてくれるように頼むと快く引き受けてくれた。バスは街中を通り抜け、郊外の林の中へと入って行く。やがて何軒かの建物が見え、そこでバスが停まった。女の運転手がここだと教えてくれた。
 ヴァイキング船博物館の前には既に何台かの観光バスが停まっていた。その中の一台から日本人のツアー客が降りて来て博物館の前にハマナスの花が咲いているのをガイドが説明していた。客が無線機を使っていたので多分ワールド航空のツアーであろう。中に入ってチケット(40Kr)を買う。写真の撮影は自由らしい。中に入った時は未だ客が少なくて写真が写し易かったが、やがて観客が多くなってきて写し難くなった。
遺体と共に埋葬された女王の船オーセバルク船/写真転載不可・なかむらみちお  この博物館には、彼等戦士の足だった船が三艘保存されている。ヴァイキング船大小各一艘と、ほとんど船底が残っていない船とがTの字型に展示され、もう一方には小物が展示されていた。入ってすぐ目に入るのが、1904年に発掘されたオーセバルク船だ。800年代から50年間使用された女王の船で、女王の死後遺体と共に埋葬された。船尾から左に行くと、900年代に使用された長さ23m、横幅5mのゴークスタット船がある。喫水線が極端に低く、これが1000年以上前の船かと疑いたくなるような造形美を見せる。ヴァイキングたちは優れた造船技術でヨーロッパや北米大陸を席巻した。

 ※ヴァイキングはノルウェー語でヴィーキングと言う。これはヴィーキンガル、つまりフィヨルドに住む人と言う意味である。九世紀初頭から約250年間にわたって、南はバグダードから、東はカスビ海、西のアメリカ大陸までを荒しまわった。狭小な国土に縛られた北欧人たちは、フィヨルドのお陰で発達した船舶技術にものをいわせて、集団移民を試みた。これが各地の民族と衝突、しだいに勇敢な戦士として成長していったのである。特にノルウェー・ヴァイキングは、アイスランドに渡って世界初の共和国を作り、そこからアメリカ北岸にまで辿り着き、新世界への足がかりを作った功績は大きい。(『世界の旅』C北欧、中央公論社発行より)

 たいした品数でもないのでものの1時間もあれば見尽くしてしまう。ひと通り見た後で外に出てみると小雨が降っていた。しまった。傘を持ってくる事をすっかり忘れてホテルに置いて来た。それでも大した雨ではない。そのまま5分ほど歩いて市庁舎の方へ行くフェリー乗場、ドロンニンゲン桟橋へと歩いた。
通船のガイド嬢/写真転載不可・なかむらみちお  オスロ市庁舎前広場桟橋でフェリーから降りる頃、海面にはかなりの雨足が立っている。この雨の中を歩くのは無理だ。リックの中にいつも入れてある黒いビニールのゴミ袋を取り出して首と両手が出るように穴を開けて着る。
 船から下りたらかなりの雨が降ってきた。シャツの両腕を腕まくりし、リックを前に掛けて抱える様にしてオスロ市庁舎前を通り抜け、国立美術館へと向かった。国立美術館には10分ほどで着いた。かなりの降りだったが、その割には濡れなかった。矢張りゴミ袋が功を奏したらしい。
 ここの美術館は珍しく入場無料だ。玄関を入るとリックと雨具をロッカーに預けさせられた。ここの係の女性はとても優しく親切だ。こんな処は滅多に無い。
「叫び」をはじめヨーロッパの画家の名作がズラリ/写真転載不可・なかむらみちお  一目散に二階にあるムンクの絵の前に一直線に進む。そこでノルウェーを代表する画家、ムンクの「叫び」や「ダンス」を観た。ムンクの絵は印刷物で見るよりもくすんで見える。作品ににじみ出る終生彼を悩ませた死への恐怖、女性に対する憧憬と恐れが感じられる。一息入れてから改めて全館の絵を見た。中にはモジリアニやモネ、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャン、ピカソなどの名前を知っているヨーロッパの画家の名作がズラリとあった。ジャンルも絵画から彫刻まで幅広い。以外だったのはロダンの彫刻「考える人」も在ったことである。これ全部がオリジナルなのだろうか。中にはガラスに覆われている絵もあった。いずれにしろ、館内を一巡し終えた時の深い感慨は、永く忘れられないだろう。帰りには一階のミュージアムショップでムンクの代表作「叫び」の絵葉書を一枚買ってきた。
 ひと通り観終わった。これで今日の予定は全部終った。ヴィーゲラン公園は5日にオスロに着いた日に晴れていたので無理して行って来た。一寸強行軍だったが行ってきておいてよかった。
 美術館の前に出ると未だ雨は降っている。そこから又歩いてホテルへと向かう。途中、ついでにオスロ駅構内へ行ってそこのスーパーで明朝買う品物の品定めをしてきた。駅を出るとほとんど雨は止みはじめた。しかし、ホテルに帰って来てからも又降ったり止んだりを繰り返している。
 ホテルに入ってから部屋で遅い昼食を摂る。その後、明朝の出発に備えて荷物を纏めたり日記を書いたりして過ごすが、あとはやる事がない。明日がくるのを待つだけだ。見ても分からないテレビでも眺めて過ごそうか…。4時頃テレビを入れたら、チャップリンの「モダンタイムス」をやっていた。およそ50年ぶりに観ることが出来て懐かしかった。
 明日はスカエラク海峡沿いに夕陽の落ちる海を眺めながら列車でのんびりとデンマークのコペンハーゲンへ行きたかったのだが、日曜日の為直通列車は休みだ。それで一旦スウェーデンに入り、ストックホルム近くまで戻った後、大きく遠回りしてコペンハーゲンへ向かう。当初予定していたよりも到着が遅れるがしかたがない。宿はあらかじめ日本から直通列車で到着する時間帯で予約しているので心配だ。

     7月17日(日)曇 Oslo O8:54-13:11 Hallsberg 14:38-15:41 Mjolby 16:16-19:33 Copenhagen
オスロベルゲンからコペンハーゲン  曇っていて暗くてどんよりと雲が空一面を覆っている夜が明けた。これが北欧独特の気候だ。今日は列車でデンマークのコペンハーゲンへと向かう。いよいよ帰国の時が近付いてきた。今回はあまりこれという写真も撮れず、フイルムも半分近く余りそうだ。残り少ない日に期待する。
 少し早めにホテルを出て駅へと向かう。駅のスーパーマーケットでパンとハムを買う予定で来てみると未だ店は閉まっていた。昨日は確か店員が8時開店と言った筈なのに…。近くで掃除をしていた青年に尋ねると、今日は日曜日だから休みだと言う。仕方なく二階のコンビニへ行く。そこで小銭のありたけのお金をはたいてバナナを三本買う。
 列車は予定通り8時54分にオスロの駅を出発した。これでノルウェーともお別れだ。5日にスウェーデンのストックホルムから来た道を逆に進む。雨が降ってきたのか舗装道路が濡れている。
 ルピナスに似た草丈の桃色の可憐な花を咲かせた野草があちこちに咲いている。雲間から光が射してきた。Kongsvingerを越え、Charlottenbergの手前で再びスウェーデンに入る。住宅の庭に立てられたポールにスウェーデンの旗が翻っている。
 Arvikaで大勢の若者が乗り込んできた。私の隣にも若い女性が座った。どの女性も奇天烈なファッションと化粧をしている。昔、日本でも流行ったパンプ型のようだ。行動も自由気侭で屈託がない。私の前の席には首が動かないのか車椅子に首を固定された電動椅子の女性と、その母親らしい女性が座った。この親子を含めてキャンピングの移動のようだ。大変だろうな。
 Kilの辺りから雲間から青空を覗かせてきた。13時11分Hallsbergに着いて乗り換える。14時38分Hallsbergを発ち、15時41分Mjolby(ミヤルベイ)到着。ここで又乗り換える。ここまでの間、窓外には青い穂を出した麦畑が一面に続く。ここからは珍しく複線だ。トンネルはひとつもない。ひたすら平地を走る。Mjolbyを過ぎた頃から所々に風力発電の風車が見えた。Nassjoには大きな操車場が在った。にわか雨が窓をたたく。天候が安定しない。Alvestaまで来ると雨は更に強くなる。しかし、20分程で止み、今度は陽が射して来た。
 Malmo(マルメ)は大きな町のようだ。広い車輌基地があった。Goteborg(ヨーテボリ)回りで海岸線を通ると、景色が良いそうだが、今日は日曜日のためその列車は休み。内陸を大きく遠回りして来た為見られなくて残念であった。ここから列車は今来たのとは逆に進行した。つまり今まで私は後ろ向きに走って来たが、ここからは前に向かって進む。

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Denmark(デンマーク)

闇間に浮き上がる可憐な人魚/写真転載不可・なかむらみちお


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      Copenhagen(コペンハーゲン)
 長い橋を渡っていつの間にかデンマークに入ったらしい。飛行場らしき所が見えた。次に停まった駅はKobenhavns_Lufthavn_Kastrupと書いてあった。英語でAirportとも書いてあるから間違いない。20日に日本へ帰るときにはこの駅を利用して空港へ行こう。確認が必要だが…。
 駅に降りて先ずノルウェーの金を500NOK(440.75DKK)だけ両替した。駅の外に出てガイドブックの地図と磁石で宿の方向を探り、ホテルを目指して進む。それらしき通りを見ると該当の通りだった。周りを見渡すとホテルだらけである。差し詰めホテル街と言ったところ。よくもまあこんなに沢山ホテルがあって客が入るものだと感心する。そこを曲がって先へ進むと「Saga_Hotel」の看板が見えてきた。
 玄関を入り、一段上った左にフロントが在った。そこで若い男が応対してくれた。あまり慣れていないようだった。部屋は407号室。つまり五階だ。このホテルにはエレベーターが無い。ヒーヒー言いながら二回に分けて荷物を部屋に運び込んだ。ぐったり。流石に疲れた。山登りをしている心境だった。一息入れてからワインを開け、夕食を済ませて寝た。

     7月18日(月)晴、時々曇 Copenhagen-Helsingor(Sielland) - Copenhagen
コペンハーゲンの朝焼け/写真転載不可・なかむらみちお  朝5時過ぎに窓のカーテンを開けると朝焼けだ。急いでカメラに望遠レンズをセットして部屋の窓から撮影。少々蒸し暑い。今日は間違いなく晴れだ。予定通りヘルシンオアに在るシェークスピアの名作「ハムレット」の舞台として有名なクロンボー城へ行く。
 一昨日のオスロでの一件に懲りたのでビニールの雨合羽を持ってゆくことにする。“羹に懲りて膾を吹く”か。 遥か彼方の童話の世界を見詰める/写真転載不可・なかむらみちお その前にコペンハーゲン市庁舎へ行き、市庁舎のすぐ脇を通るH.C.アンデルセン通り沿いにあるアンデルセンの銅像を見に行く。像はかなり大きく、道路を挟んだ向かいのチボリ公園を見上げていた。市庁舎は、中世オランダ様式とネオイタリアルネッサンス様式が折衷する堂々たる佇まいの建物である。コペンハーゲンで最も高い105.6mの塔を持っており、15分ごとにウェストミンスターと同じ音色の鐘を響かせる。塔からは市街を見渡すことができる。道路を挟んだチボリ公園も覗いて見たが、あまり興味がないので中までは入らなかった。ここでは遊園地が人気ある。
 国土面積4万3,094平方q(本土)、人口539万人のデンマークは現在、ひとり当りのGNPが世界でもトップレベルに位置し、先進的な社会保障制度を持つ福祉国家として知られている。又、童話作家アンデルセンをはじめ、哲学者キルケゴール、彫刻家トーヴァルセンなど個性的な芸術家を生み、現在では工芸美術、建築美術・文化の隆盛を担っている。
重厚な佇まいを見せる市庁舎。中世オランダ様式とネオイタリアルネッサンス様式が折衷している/写真転載不可・なかむらみちお  コペンハーゲンでは現在、市街地の建築物の撤去が容易に許可されない。外観は昔のまま残し、内部のみを造り替える配慮がなされている。やむを得ず建て替えなければならないときでも、周囲の建物との調和を義務付けている。市庁舎の塔(105.6m)より高い建物を建ててはならないという市の条例により、近代的な高層ビルもない。街は渋い赤レンガの建物が多く、教会のドームや宮殿の尖塔のライトグリーンが街にアクセントを付け、派手なものは何もない。夜もどぎついネオンはほとんどない。いたる所に公園があり、樹木や芝生や水が豊かである。
 コペンハーゲンの北約44qにある港町ヘルシンオアにはコペンハーゲン駅から列車で行く。この路線は北欧四ヶ国の鉄道を自由に利用出来るパスの「スカンレールパス」が使える。

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      Helsingor(ヘルシンオア)(Sielland島)
「ハムレット」の舞台クロンボー城/写真転載不可・なかむらみちお  ヘルシンオアの駅に降りると目の前にクロンボー城が見えた。城は1580年に船の通行税徴収のためにフレデリック二世が建立。青銅色の屋根と四つの塔があり、ほぼ真四角の堅牢な城郭は、海を4km隔てたスウェーデン国境を静かに見据えている。シェークスピアの戯曲「ハムレット」の舞台としても知られている。場内には国内最大の規模を持つ航海博物館がある。
 早速望遠レンズをセットして2、3枚写す。その後、城の右側の角度から写してみたくてポイントを探すが、フェリーターミナルの囲いがあって中には入れない。目の前に見える向こう岸の青灯台からなら良いかも知れないと港をぐるりと廻ってみるが、良いアングルは見つからなかった。そうこうする内にハムレットとその恋人のオフェーリアの像が建っていたのでそれを写す。
シェークスピアの胸像のレリーフ/写真転載不可・なかむらみちお  建物は近世風な石塁と濠に囲まれ、城門をくぐるとまた濠がある。道はその内側の濠に沿って延びている。『ハムレット』から浮かび上がるエルシノア城のイメージは陰鬱で不気味な古城である。亡霊が出没し、陰謀が渦巻くこの物語の雰囲気を盛り上げるのに欠かせぬ背景だ。しかし、実物のクロンボー城を訪ねてみるとそのイメージとは違い、あっけにとられた。ヘルシンオアの駅を降りてすぐ向こうに見える尖塔と青い銅版の屋根を持つ建物は、近代的な城館といったほうが適当だ。劇のエルシノア城を「暗」とすれば現実のクロンボーク城は「明」のムードを持つといえるだろう。シェークスピアがこの城に「来たのか、来なかったのか。それが疑問だ!」。
 場内に入ってからも城の周りをぐるりとひと廻りしてアングルを探しながら写す。北棟入口の向かいの壁に、シェークスピアの胸像のレリーフがあり、その下に王子ハムレットに付いての記述がある。文中に「王子Amleth」とある。シェークスピアはAmlethの最後の「H」を頭に持ってきてHAMLETとしたと言う。
 “To_be,or_not_to_be,that_is_the_quesion.”(生くべきか生くべからざるかそれが問題だ)Hamlet。
 なんと煮え切らない男だろう。ツルゲーネフの分類によると、ハムレットのように、思索・懐疑の傾向が強く、決断・実行力に乏しい人物をハムレット型と言う。ちなみに現実を無視し独りよがりの正義感にかられて向こう見ずの行動に出る人物をドンキホーテ型というそうである。貴方はどっち?
青銅色の屋根と四つの塔があり、ほぼ真四角の堅牢な城郭/写真転載不可・なかむらみちお  腹が減ったが昼食は後にして場内に入る。入場料は50DKK(為替レート1DKK=18.79円)とかなり高い。デンマークでは、ほとんどの商品に25%の付加価値税(VAT)が課せられているので負担が大きい。建物の内部と地下室、教会を見た。三脚は使えないのでチケット売場に預けさせられ、更にリックもロッカールームに入れさせられた。しかし、フラッシュを使わなければ内部は写すことが出来る。
 中庭から見上げる周りの建物は、塔を除いて比較的単調な構造をしていて、僅かに北欧風の破風がその単調さに色を添えている。中庭に面した塔の上では大きな時計が、渋い青色を放つ銅版の屋根と共に四百年の歳月を刻んでいる。王や妃の居間。北欧一長い部屋と言われる騎士の間。デンマーク王室の歴史を彩る美術品も至るところにあった。地下には兵舎や地下牢がある。地下室の一隅に、盾と剣を手にして眠るデンマークの伝説の英雄ホルガー・ダンスクの像がある。デンマークの危機の際には、数百年の眠りから立ち上がり、祖国を救うといわれている。一時間半ほど中を見てから城の外へ出て、海の見える城壁の所で持ってきたパンを齧る。
 「シェークスピアは英国を出たことはなく、従ってクロンボー城には来なかった」と言う説がある。しかし、『ハムレット』は創作ではなく、ネタ本もあってデンマークに来なくても書けたとも言われている。いずれにしてもシェークスピアは謎に満ちた劇作家である。
 駅に引き返す途中でワインを売っている店が在ったのでオーストラリア産のワイン(40.00DKK)を一本買う。デンマークでは、ビールなどのアルコールはコンビニやスーパーなどで簡単に買うことが出来る。ヘルシンオアの駅の西側には商店街があり、対岸のヘルシンボリから船でやって来たスウェーデン人の買い物客で賑わっている。デンマークはスウェーデンよりもアルコール類が安いので、大量のビールやウイスキーを抱えたスウェーデン人が多い。
 コペンハーゲンに着いてから駅で帰りの飛行機のリコンフアームをしようとして公衆電話でJALに掛けてみたが繋がらない。已むを得ず駅前の旅行者案内所へ行って相談してみたが分らないと言う。
 太陽の光の射し加減を確認しようとして市庁舎前のアンデルセンの像の所に行く前にスーパーに寄って夕食の食材を買った。市役所に行ってみたが太陽は雲に隠れているので写すのは又明日にしてホテルへ帰る。
「HAMLET」という名のワイン。“酔うべきか酔わざるべきかそれが問題だ”/写真転載不可・なかむらみちお  ホテルに着いてからあまり暑くて汗を掻いたのでシャワーを浴びる。その後、買ってきたワインを開け、食材で夕食を済ませる。デジカメの電池がなくなったのでホテルに帰って来てからすぐに充電したら1時間程で充電完了した。
 一服した後日記を書く。この後、夕暮れの「人魚の像」を撮りに行く。日の入りが21時54分だからかなりしんどい。どういうことになるやら。
 夕方になってもかなり蒸し暑い。夕暮れ近くの「人魚の像」を写したいが、日の入りが夜の10時頃とかなり遅い。いつもならとっくに寝ている時間だ。9時になったらホテルを出発することにしてそれまで部屋で待機することにする。
 コペンハーゲン市内の公共の交通機関は、デンマーク国鉄NSBの運行するエストーと呼ばれる近郊列車と、首都圏交通公団HURが運営する市バス、地下鉄の三種類がある。9時頃ホテルを出てエストーのエスターポート駅へと向かう。大体の見当を付けて行くと、駅はすぐ見付かった。二つ先のエスターポート駅で下車、駅を出たがどちらに行って良いか分からない。大体の方角は分かっていたのだが、通り掛かりの人を捉まえて道を訪ねると、中年の男の人が親切に教えてくれた。彼は次の通りの角まで私を案内して懇切丁寧に教えてくれた。私はポケットから五円玉を1個出して差し上げてお礼を言った。
 教えてもらった夕暮れの道を進むと二人連れの娘に出会った。彼女たちに再び道を尋ねると、こっちだから一緒に行こうと言われた。
 公園の中のような寂しい薄暗い道を3人で歩きはじめる。海岸が近い感じなのであの辺りなのだろう。やがて彼女達がここだよと教えてくれた。「人魚の像」は岸辺の一段下ったところの岩の上にあった。像の大きさは僅か80pで、目立たずにひっそりとした感じで座っている。世界三大ガッカリのひとつと聞いていたのでさほど驚かなかった。
背後から水平線の少し上に満月が浮かんでいた/写真転載不可・なかむらみちお  「人魚の像」の背後から水平線の少し上に満月が浮かんでいた。「人魚の像」を照らす照明が未だ点かないので像が黒くつぶれている。カメラにストロボを付けて何枚か撮影する。ライトの光を受けて、闇間に浮き上がる可憐な人魚の姿は、波の音にも誘われて、童話の世界へと誘(いざな)う。近くの建物からは大音響でロック音楽が聞こえてくる。この雰囲気には似つかわしくない。きっとロックコンサートでも開かれているのだろう。観客の歓声も聞こえてくる。
 しばらくすると(多分10時頃と思う)照明が点き、「人魚の像」が夜空に浮かび上がる。これも三脚を付けてスローシャッターで写す。撮影中は気付かなかったが、終ってみると薮蚊が多く、顔や首筋などに纏わり付く。ほうほうの態でその場を退散する。
 帰りの公園のような森の中の道は暗く人道りもなく、薄気味が悪い。それに暗くなると来た時とは周りの感じが違うので、道々迷わないように気を付けて帰途を急ぐ。
 無事来る時下車したエスターポート駅に着き、電車に乗り今度は行く時に乗った駅を通過してひとつ次のコペンハーゲン駅で降りてホテルへと向かった。
 ホテルに帰ってからはそのまま即座にベッドに潜り込んだ。

     7月19日(火)雨、時々曇 Copenhagen
 北欧最後の日だと言うのに今朝はあまり良い天気ではない。雲が空一面を覆っている。それでも朝方東の空は少し朝焼けがみられた。今日は昨夜行って来た「人魚の像」と「アメリエンボー宮殿」へ行ってくる。
 ホテルを出る少し前、とうとう雨が降ってきた。これじゃ良い写真は撮れないので気が重い。雨が小止みになった9時頃ホテルを出てコペンハーゲン駅へと向かう。昨日降りたエスターポート駅から歩いて「人形の像」へと向かう。右側のカステレット要塞沿いに海側へと向かう。雨は相変わらずポツポツと降っているので、エスターポート駅でリックからビニールの合羽を取り出しそれを羽織って歩く。
コペンハーゲンのアイドルマーク/写真転載不可・なかむらみちお  足元の海辺に、暗褐色の岩に座った小さな銅像があった。コペンハーゲンのアイドルマーク人魚姫の像である。アンデルセンの美しい童話『人魚姫』に題材を求めたエドハルド・エリックセンの彫刻である。以前、その首が盗まれた時には、世界中の新聞が大きく書きたてたので、今ではコペンハーゲンを訪れたことのない人々にも広く知れ渡っている。
 「人魚の像」に着き、いざ写し始めようとしたら雷も鳴ってにわか雨も降って来た。撮影を中断して近くのレストランの軒下に避難した。待つことしばし。やがて雨が上がったので再び「人魚の像」のところへ行って撮影を始める。
 10時半過ぎに撮影を終えてエスターポート駅へと再び引き返す。エスターポート駅からはエストーで次のNorreport駅まで行き、そこで地下鉄に乗り換えてKongens_Nytorv(コンゲンス・ニュートーゥ=王様の新広場)に行き、そこからおよそ5分歩いてアメリエンボー宮殿へと向かう。
宮殿とは思えない/写真転載不可・なかむらみちお  アメリエンボー宮殿には11時過ぎに着いた。熊の毛皮の帽子を被った衛兵が立っていなければ、宮殿とは思えないほど質素な佇まい。ここで毎日正午丁度に華麗な衛兵の交替式が見物出来る。それを写すためにそれに間に合うように来た。
 アングルを探していると衛兵に三脚をとがめられた。実は「人魚の像」の所で雨に濡れた為に乾かす意味もあって折畳まないままに持っていたものである。
童話の世界から抜け出して来た様な衛兵の行進/写真転載不可・なかむらみちお  交替式の始まる正午近くになると大勢の観光客が集まってきた。幸い雨も小康状態で陽も射してきた。整理のお巡りさんに一線から出ないようにと指示された。12時丁度、衛兵の一隊が広場に行進して来た。黒い熊の毛皮の帽子を被っている。服装はあまりカラフルとまでは言えないが、さながら童話の世界から抜け出した様な衛兵の行進は、静かなコペンの街に華やいだ色を添える。交替式は約30分間宮殿前の広場で行われた。
 式が終った後、近くの川の岸辺に行って持ってきた弁当を拡げて食べる。昼食後、元来た道を引き返し、地下鉄の駅へと向かう。その途中、ニューハウンに立ち寄ってみた。ここは運河にそってカラフルな木造家屋が並ぶエリアで、コペンハーゲンを象徴する景観である。かつては、長い航海を終えた船乗り達が羽根を伸ばす居酒屋街として賑わいを見せていた。現在では、運河に沿った北側の通りにレストランが並び、外にテラス席が出て賑わう。アンデルセンが愛した場所としても知られている。
スーベニア/写真転載不可・なかむらみちお  地下鉄駅の手前で又激しくにわか雨が降ってきた。本当に今日は天候不順である。コンゲンス・ニュートーゥ駅から再び地下鉄でNorreport駅へ行き、そこでエストーに乗り換えてコペンハーゲン駅で降りる。コペンハーゲン駅では明日帰国のため空港へ行く列車の乗場を確認する。
 帰り掛けに駅構内の売店を覗いてお土産を物色するが孫や二人の息子のお嫁さんに買うようなものは見当たらなかった。「人魚の像」(64.95DKK)があったので一個買う。
 ホテルに帰って明日の帰国準備や、資料の整理をした後、はるばる日本から持ってきた焼酎の残りと昨日買ってきたワインの残りで今回の北欧の旅の打ち上げをした。
 明日の飛行機はコペンハーゲン14時55分発だからゆっくりで良いのだが、ホテルにいてもしょうがないし、街へ行くのも何だから早めに空港へ行って待機することにする。

     7月20日(水)快晴 Copenhagen 14:55-(SK505)15:50 ロンドン(ヒースロー)18:55-(JL422)
 今日は朝からギンギンの快晴である。朝焼けが綺麗だった。ホテルの窓から2、3枚又写しちゃった。
 いよいよ北欧ともお別れだ。振り返ってみると、前半は予想以上の快晴が続き、北欧特有のどんよりとした天気のイメージとはかけ離れていて驚いた。後半は雨にたたられた日もあったが、写真的にはそれほど重要なところでもなかったのでまぁまぁである。北欧の景色を見て地球の美しさ、素晴らしさが実感できた旅であった。
 しかし、いい写真はあまり撮れなかった。持ってきたフイルムの半分しか写せなかった。フィヨルドとヘルシンキからストックホルム間の船上から見たアーキペラゴ(諸島)の美しい風景を除けばあまり見るべき物は無かったが、とにかく特別のトラブルも事故も紛失物も無く、体調も崩すことなく無事過ごせたことはなによりであった。それにしても日本に比べて諸物価の高いのには閉口した。これも日本よりも生活水準が高いという表われなのかも知れない。
 朝方は快晴でまさかと思ったが、空港に着く頃には又曇ってきた。ホテルを9時前に出発、コペンハーゲン駅から列車で空港へと向かう。列車はコペンハーゲン駅を出発してから10分程で空港駅に着き、エレベーターで上るとそこがもう国際空港のカウンターであった。数ヶ所もある受付カウンターの前には大勢の出発を待つ乗客が列を成してチェックインの順番を待っている。
 チェックインを済ませてゲートへと向かう。免税店がずらりと並んでいる。その一軒で孫へのお土産を物色するが、中々これと言う物が見付からない。ようやくサッカーボールを持った熊のプーさんと民族衣装を着た女性の人形を見付けた。長男の男の孫と次男の女の子の孫へのお土産を買うことが出来たが、二人の息子のお嫁さんと次男の男の孫へのお土産が見付からない。
 フト空港待合室の上を覆っている総ガラス張りの天井を見ると、雨が激しく降っていた。今朝はあんなに晴れて今日こそは絶対に快晴だと思ったのに、北欧の空は移り気で変わり易い。まるで女心の様で私には分らない。
 1時30分過ぎにゲートが電光掲示板に発表されたのでD101ゲートへと進む。新しく出来たゲートのようだが、着いてみると意外と待合室が狭い。一体どんな飛行機に乗せられるのか…。
 ゲートが開き、並んだ順に進む。私は比較的後から入るが、階段を降りた扉のところで止められた。どうやらトラブルがあったらしい。間も無く飛行機へと乗り込む。なんと私の前にかなりの乗客がゲートインしたはずなのに、飛行機の中に入ってみると私が一番初めだった。私の前にゲートインした乗客はどこへ行ったのだろうか。
 私の席は比較的後の方であった。飛行機は中型である。私の後からも続々と客が乗り込み、結局満員に近く乗って定刻を少し過ぎて出発した。来る時にはロンドンのヒースロー空港の乗換え時に長い距離を歩かされ、おまけにバスにも乗り継いだのと、関空発のJALの出発が遅れて少し遅く着いたことなどもあって慌しかった。今回はヒースロー空港でたっぷり時間がありそうなのであまり焦ることもない。
パブで先ず一杯/写真転載不可・なかむらみちお  ヒースロー空港に着いてJALのカウンターでチェックインを済ませた。到着ターミナルとJALの出発ターミナルとは同じらしく、今回はあまり歩かなくて済んだ。チェックインを済ませてからパブで先ずビールを一杯飲む。イギリスはユーローに加盟していない。生憎シリング(為替レート£1=214.00円)を持ち合わせていないのでユーローで支払った。ビールを飲んだ後、店を回ってみたが特にこれといって買うものは無かった。ブランデーも日本より高かった。
 やがてゲートナンバーが表示されたのでゲートへと向かったが、歩いて20分位かかった。JALの飛行機に乗ってからスチュワーデスに特に変わったニュースが無かったか尋ねてみたが、ロンドンのテロ意外は特に無いと言うことであった。又、機内に積まれていた新聞にも目を通してみたが、特にこれというニュースはなかった。飛行機は順調に出発準備が出来て定刻に出発した。

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      無事帰国
     7月21日(木)曇 14:55 関空 16:00-(JL2507)17:50 新千歳 - 札幌
 途中、特に変わったことも無く、関空には予定時間よりも少し早く着いた。荷物を受け取り、国内線搭乗口へと向かう。
 国内線の受付カウンターへ行くと、予約している便の前にもう1便あることが分った。ここで待つ理由はない。早く帰ったほうが良い。その便には空席があるということなので搭乗手続きをしてもらった。そこでチェックインをした後、大阪名物豚饅を買いに行く。豚饅は同じ名前の商品が2社から出ているということだったが、これまではそんな事は知らなかった。商品名の頭に数字の入っている商品が有名なのだそうだ。紛らわしい。
 間も無く新千歳行きの飛行機に搭乗。乗ってみるとがら空きで自由に席を取ることが出来た。一路札幌へ向ってテイクアウト。
 新千歳空港に着くと札幌行きの連絡バスは出発した後だった。そこで30分間位待って次のバスに乗ることにした。その間に家に電話をしてみたが留守で応答が無かった。
 札幌に着き、バスターミナルからタクシーで家へ向かう。家に着くと予定より少し早く着いたので外出から帰って来ていた妻が驚いていた。まずは元気で無事に家に辿り着いてヤレヤレ。やっぱり家が一番良い。日本が一番いい。
                                        -おわり-

 人生は旅、旅は人生。旅日記は私の自分史でもある。
 “旅こそは我が人生”アンデルセン
 夢を見なくなったら人は老ける。夢がある限り私は青春真只中。

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